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<震災遺構>校舎保存 教訓伝承の意義重視

一部または部分保存の方針が固まった門脇小校舎=2012年10月
全体保存する方針が決まった大川小=2016年2月

 【解説】東日本大震災で被災した宮城県石巻市大川、門脇両小の校舎について、亀山紘市長が保存する方針を固めた背景には、震災から5年が過ぎ、記憶の風化が進むことへの懸念がある。津波や火災の爪跡が刻まれた学びやを「形ある語り部」として残し、教訓を後世に伝えていく意義を重視した。
 大川小は学校管理下で前例のない惨事が起き、校舎が立つ釜谷地区は住民の約4割が犠牲になった。門脇小が立地する門脇、南浜両地区では539人が死亡・行方不明になった。遺族や住民らの悲しみや喪失感は峻烈(しゅんれつ)だ。
 亀山市長は両校舎を同列に捉え「犠牲者を追悼し、伝承する遺構としての価値は十分にある」として保存、解体の両者が納得できるような解決策を模索。解体を望む人にも配慮した形で残す道を選択した。
 苦渋の政治決断は、校舎を生かした教訓の伝え方や防災の在り方について議論を深める出発点となる。「校舎を見るのがつらい」「校舎を壊して隅々まで捜し、わが子の手掛かりを一つでも見つけたい」などの沈痛な思いや、声を上げられない人の心情をくみ取る努力も求められる。
 両校舎の維持管理には多額の税金が要る。生活再建の途上にあり、遺構に思いをいたす余裕がない被災者らにも保存の意義を丁寧に説明する必要がある。大震災の教訓を次代を担う若者や未来の子どもたちにどう引き継ぐのか。最大被災地のトップが負う責任は一層重みを増す。(石巻総局・水野良将、高橋公彦)
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 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小の被災校舎について、亀山紘市長が震災遺構として全体を保存する方針を決めたことが25日、分かった。もう一つの候補に挙がっていた門脇小の校舎も一部を保存する。26日に記者会見を開いて保存を正式に表明する。


2016年03月26日土曜日

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