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<北海道新幹線>去る昭和 つながる未来

鎌田さんが1960年代に撮影した青函連絡船
かつて連絡船が停泊していた岸壁沿いでカメラを持つ鎌田さん。現在は最後の青函連絡船「八甲田丸」が係留展示されている

 煙を上げる青函連絡船を眺める親子。最後の旅に出る船を見送る職員の後ろ姿。連絡船を担当していた元無線通信士鎌田清衛さん(89)=青森市筒井=は、自らが撮影した1950〜60年代の写真を見つめながら、青森駅が本州の玄関口として栄えた時代を懐かしむ。連絡船が運航を終えて28年。きょう26日は北海道新幹線が開業する。「青森駅は今のままあるのかな」。鎌田さんはさみしさを口にする。
 鎌田さんは青森市浪岡生まれ。無線電信講習所(現電気通信大)を卒業し、1948年、旧国鉄盛岡鉄道管理局青森電務区の職員となった。約8年間、連絡船専門の通信士として、現在の青森港旅客船ターミナルビル(同市柳川)近くにあった青函船舶鉄道管理局の桟橋庁舎で働いていた。
 一昼夜交代の勤務は厳しかったが、仕事の合間に趣味のカメラで連絡船や周辺の風景を写真に収めた。「連絡船を見るのが仕事のようなものだった。長い期間ではなかったけれど、一番思い出深い時間だった」
 54年の洞爺丸事故の際は同市沖館の送信所にいた。「電線が切れるほどのすごい風だったが、まさか船が沈むとは思わなかった」と振り返る。
 廃止になる船を何度も見送ったといい、「往復しない連絡船を見るたびにさみしかった」と話す。
 連絡船の運航終了前に退職し、在来線で何度か函館に渡った。「夏には北海道新幹線に乗るつもり」と話す一方、青森駅の衰退も心配する。
 「青森は連絡船で栄えた町で、青函トンネルが通ってから駅に降りる人は少なくなった。新幹線が通ったらまた減るのでは。でも時代の移り変わりだから仕方ないか」と笑った。


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2016年03月26日土曜日


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