山形のニュース

<3・11と今>つながり 復興の力に

震災から6年目の被災地で東北OMメンバーと言葉を交わす後藤さん(中央)=12日、宮城県南三陸町
後藤さんら東北OMのメンバーが手作りで準備したチャリティーライブ=2012年4月、釜石市

◎東北魂(3)東北OM運営委員 後藤好邦さん=山形市

 かさ上げ用の盛り土が映り込む海岸線を見つめた。
 「復興は着実に進んでいるとは思う。でも、やはり一朝一夕にはいかない」
 山形市職員で、東北まちづくりオフサイトミーティング(東北OM)運営委員の後藤好邦さん(44)。東日本大震災から6年目に入った12日、OMメンバーと宮城県南三陸町を訪れ「5年」の意味をかみしめた。
 東北の自治体職員を中心に全国の公務員や民間人でつくる東北OMは、2009年に自らが発起人となり28人で結成した。現在は850人以上が参加するネットワークとなった。
 年3、4回の地域づくり勉強会とインターネットによる情報交換が活動の柱。「敷居は低く、志は高く」を掲げ、人と人がつながるプラットホームを目指す。
 あの日は山形市役所で地震に見舞われた。職場のテレビで仙台平野に押し寄せる津波を見て「ただ事ではない」と背筋が凍った。その後は宮城、福島からの避難者の対応に追われた。
 東北0Mのメンバーと再会できたのは4月下旬だった。「まずは自分たちに何ができるか考えよう」と話し合い、津波で被災した名取市などをバスで回った。
 惨状は想像以上。街は跡形もなく、がれきの山と化した。一変した景色に足がすくんだ。「東北OMにできることなんてあるのだろうか」。無力感が募った。
 
 ちょうどその頃、秋田県大館市臨時職員の女性メンバーからメールで相談があった。幼なじみがボーカルを務めるロックバンド「チャットモンチー」が、集めた募金で被災地の学校を支援したいと言っている、との内容だった。
 メーリングリストをたどり、岩手県釜石市職員の男性メンバーに話をつないだ。約半年後、バンドは津波で校舎が被災した釜石東中にキーボードなど楽器をプレゼント。「歌声も届けたい」と話はさらに膨らんだ。
 12年4月、市内の古い体育館でチャリティーライブを開いた。東北OMメンバーが集結し、手弁当で会場設営などに当たった。釜石東中の生徒や保護者ら約100人を招待した。
 最後から2曲目だった。ボーカルが「次はみんなが知っている歌」と紹介すると、聞き覚えのある歌詞が流れた。アップテンポにアレンジされた釜石東中の校歌だった。生徒たちの顔がパッと明るくなった。
 「やって良かった」。会場の盛り上がりに胸が熱くなった。1通のメールから生まれた復興支援ライブ。「個人と個人がつながることで、被災地に笑顔を届けることができた」。ネットワークの底力を知った。

 13年5月、岩手県陸前高田市で開いた東北OM勉強会。講師を務めた戸羽太市長の言葉に心を揺さぶられた。
 「自分にない能力を持つ友人をつくることで可能性が広がる」。震災で多くを失ったが、人のつながりを生かすことで復興は成し遂げられるという極意だ。
 東北OMの役割が、はっきりと分かった気がした。
 人と人、地域と地域、東北と東北以外を結び付け、被災地の可能性を広げられたらいい。つながりは復興のエンジンになる。本領発揮はこれからだと思う。(長谷美龍蔵)


2016年03月28日月曜日


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