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<福島で生きる>不明の夫 子どもと待つ

仕事と娘たちの送迎の合間に洗濯物を干す門馬さん=13日、南相馬市原町区

◎女性と原発事故(3)育てる 門馬麻野さん

 3人の娘を持つ親として、放射能が怖くないと言ったらうそになる。でも、ひとり親になって、見知らぬ土地では暮らせない。
 福島県南相馬市鹿島区に住んでいた門馬麻野さん(37)は、東日本大震災の津波で夫孝文さん=当時(35)=が行方不明になった。同居していた義父礼次郎さん=同(63)=、義母美津子さん=同(56)=も行方が分からなくなった。
 同市原町区の実家で暮らす。パート勤めをしながら長女泉月(みづき)さん(14)と次女佑さん(11)、三女咲和(さわ)さん(7)を育てる。
 震災発生から丸5年を翌日に控えた今月10日。佑さんのバースデーケーキが食卓を飾った。5年前と同じ特大サイズ。震災前の平穏な日々を思い出した。

 あの日、孝文さんは消防団活動のため家を飛び出していった。翌日、「孝文さんが流された」との話を聞いた。遺体安置所を回り始めた直後、東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされた。
 原発から30キロ圏にある原町区の実家に1度、身を寄せた。屋内退避指示が出され、両親と宮城県に逃げた。両親に疲れが見え始めた。孝文さんらも捜したい。3月下旬、実家に戻った。
 絶望感にとらわれながら遺体安置所を回ったが、一向に会えない。
 夢を見て泣いた。重い荷物を抱えたまま、駅舎で孝文さんに置いて行かれる夢。寝ながら泣き言を口にしているかもしれない。娘たちの寝息が聞こえた後、別の部屋で布団をかぶった。
 休日には比較的空間放射線量が低い仙台などに足を伸ばした。両親に連れられて楽しげに歩く子どもたち。「自分たちもちょっと前まではあんなふうだったのに…」。目を背けた。

 2014年夏、事故当時18歳以下の子どもを対象にした福島県の甲状腺検査で、佑さんにのう胞が見つかった。悪性ではなかったが、前の検査では何も見つからなかったから、急に不安になった。事故直後のように、コメや野菜は県外産を選び、手洗いを徹底させた。
 震災の年、福島で子育てする女性として取材を受けたことがある。インターネットの匿名の書き込みを見て傷ついた。<福島で子育てするなんて、子どものことを考えていない親だ>
 できるならもっと放射線量の低いところで育てたいと思う。でもイチかバチか飛び出して、自分が倒れたら、娘たちが路頭に迷ってしまう。県外に頼れる人はいない。金銭的な余裕もない。
 最愛の人が亡くなったことを今も受け入れられない。「もっと前向きに」とたしなめる人がいる。諦めることが前を向くことではないと思う。いつか「ただいま」と帰ってきたときのためにも、福島で生きていく。
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 東京電力福島第1原発事故から5年が過ぎた。福島から県外へ避難する人がクローズアップされる一方、県内には約96万人の女性が住み、働き、結婚し、子育てに励んでいる。福島で暮らし続ける女性たちを取材した。(福島総局・桐生薫子)


2016年03月31日木曜日


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