宮城のニュース

<楽天 栗原健太>2軍で黙々打撃磨く

ノックを受ける東北楽天・栗原。開幕1軍を逃した悔しさをばねにする=3月23日、仙台市の泉練習場

 山形が生んだ強打者、栗原健太内野手(34)が16年プレーした広島を退団し、東北楽天に今季加わった。広島では主軸として活躍したが、ここ4季は右肘のけがなどで不振を極めた。古里・東北の地で、かつての輝きを取り戻そうと奮闘する姿に迫る。(佐藤理史)

◎再起への道 開幕直後編(上)もう一度ホームランを

<アピールが不足>
 天然芝に生まれ変わった東北楽天の本拠地コボスタ宮城(仙台市)で開幕1軍メンバーが初練習に臨んだ3月23日。約10キロ北にある泉練習場(仙台市)は2軍の51選手でごった返していた。
 栗原は室内練習場で、年季の入った投球マシンを相手にバットを振っていた。1時間ほど続けた後、土のグラウンドに出る。古里の山形と宮城にまたがる山々から冷たい風が吹き下ろす中、シャツの色が汗で変わるまでノックを受けた。
 「残念でしかない。それ(開幕1軍入り)を目指して、ずっとやってきたので。もう一つアピールが足りなかったですね」。花粉症で赤くなった目をこすり、とつとつと語り始めた。
 2月から1軍に居続けた。対外試合での出番は主に代打で25打席。打率2割9分2厘と一定の成果は残した。しかし、適時打を含む2安打を放った3月13日限りで2軍落ち。求められた長打は二塁打1本だけだった。
 「ちょうど打撃の感覚が良くなっていたころだったんですけど。もう少し(打席に)立ちたかった」。言い訳に聞こえるのを嫌うように「まあしょうがないです」と言葉を切り上げた。
 20世紀最後の年にプロ入り。旧広島市民球場から巣立った、今や数少ない世代だ。1975年の初優勝を担った「ミスター赤ヘル」山本に始まり、90年代の江藤、2000年代の金本(現阪神監督、東北福祉大出)、新井ら。昭和からのカープ4番の系譜に名を連ねた。

<とにかく頑張る>
 03年の金本の移籍に続き、4番新井、エース黒田と投打の柱がそろって抜けた08年、チームの顔として屋台骨を支えることになる。26歳で4番に座り、打率3割3分2厘、103打点。巨人ラミレス、阪神金本ら他球団の主砲と互角に渡り合った。「常にプレッシャーの中でやっていた。一度こうして離れてみると『すごいな』と思う」。気を張った働きがあってもチームは1998〜2012年の15季連続Bクラス。低迷期を脱せなかった。
 12年5月に右肘を手術してから野球人生が暗転する。最近2季は1軍の打席に立てなかった。皮肉にも、広島は13年から2年連続、外国人選手を4番に据え、Aクラス入りを果たした。
 そして、覚悟を決めて16年過ごした広島を去る。「もう一度、あの舞台に立ちたい。ホームランを打ちたい」。打者の本能に従い、今に至る。
 3月23日、開幕を控えたチームの必勝祈願が大崎八幡宮(仙台市)であった。
 「昔から、例えば三冠王とか具体的なお願いはしない。『先がどうなるかは分からないけど、いい道を下さい。とにかく自分は頑張るんで』って。いつもそう願うんです」
 東北で新たな「道」を探す日々が始まった。

●栗原健太(くりはら・けんた)183センチ、97キロ。右投げ右打ち。日大山形高から2000年、ドラフト3位で広島入り。06年から4年連続で20本塁打以上放つなど主砲として活躍した。通算成績は1026試合出場、打率2割9分3厘、153本塁打、586打点。34歳。天童市出身。背番号0。


2016年04月01日金曜日


先頭に戻る