福島のニュース

<福島で生きる>夫と約束 田植踊り守る

力強く民謡を歌う佐々木さん=2月21日、福島市

◎女性と原発事故(4完)伝える 佐々木繁子さん(65)

 若いころは妻として母として人生を送ってきた。自分が帰る家を失った今、住み慣れた地域のために尽くしたい。
 2月下旬、福島県浪江町の住民が身を寄せる福島市の仮設住宅。同町請戸地区の伝統芸能「請戸田植踊り」が披露され、佐々木繁子さん(65)が力強い歌声を響かせた。

 請戸地区は東日本大震災の津波と東京電力福島第1原発事故で住民が県内外に離散。300年の歴史を持つ田植踊りも途絶えかけた。復活の立役者になったのが、震災前まで請戸地区に住んでいた繁子さんだった。
 震災から2カ月後。東京での避難生活も少し落ち着いたころ、震災の3週間前に神社の例大祭で踊りを奉納したのを思い出した。
 踊り子の子どもたちはどうしているだろうか。「請戸は津波で何もなくなった。せめて、最後にあの時の写真を送ってあげたい」
 祭りに来ていたアマチュアカメラマンなら写真を持っているかもしれない。福島のテレビ局や新聞社に電話をかけ、写真の提供を呼び掛けてもらえないか掛け合った。
 反響は大きく、20人ほどから写真が届いた。その中に一通の手紙が混じっていた。「請戸田植踊りは文化財としての価値がある。復活に協力したい」。いわき市の神社の宮司からだった。
 悩んだ末、再開したいかどうか踊り子たちに手紙を書いた。13人全員から「参加したい」と返事が来た。

 2011年8月、福島県いわき市で復活のステージに立った。複合災害を乗り越えた伝統芸能として注目を集め、明治神宮や出雲大社にも招待された。県内外で40回近く踊りを披露している。
 田植踊りの継承は、震災の約2年前、病気のため67歳で亡くなった夫の康之さんと交わした約束でもある。
 康之さんは50歳すぎから体調を崩し、入退院を繰り返した。繁子さんは看病の傍ら、工場やホテルで働いて治療費を稼いだ。
 康之さんが亡くなる約1年前、田植踊りの歌い手の後継者になってほしいと話が舞い込んだ。繁子さんは同じ浜通りでも大熊町の生まれだ。一部から「よそ者にできるわけない」と陰口をたたかれていたから、断った。
 康之さんに怒られた。「神様の行事を断るんじゃねえ」。亡くなる少し前のことだった。
 田植踊りが自分と請戸をつなぎ留めてくれている。背中を押した康之さんへの感謝は尽きない。
 いつか請戸で踊りを奉納したい。でも放射能の心配がある限り、子どもたちを連れてはいけない。原発被災地での伝統芸能継承の難しさを感じる。
 伝承活動を続けるため、郡山市のアパートに1人暮らす。首都圏に住む子どもたちは同居を勧めるが、後継者が現れない限り、自分がやらないといけないと思う。肩の荷を下ろすのは、もう少し先になりそうだ。
          ◇         ◇         ◇
 東京電力福島第1原発事故から5年が過ぎた。福島から県外へ避難する人がクローズアップされる一方、県内には約96万人の女性が住み、働き、結婚し、子育てに励んでいる。福島で暮らし続ける女性たちを取材した。(福島総局・桐生薫子)


2016年04月01日金曜日


先頭に戻る