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<楽天 栗原健太>遅い決断 今では後悔

入団会見で宮越チーム統括本部長補佐(当時)と握手する栗原=2015年12月7日、仙台市宮城野区のコボスタ宮城イーグルスドーム

◎再起への道 開幕直後編(下)苦しみ悩んだ4年間

<痛みで肘かばう>
 愛称「コング」。打撃は豪快で、見た目もいかつい。でも性格は優柔不断な方だ。飲食店で料理を注文する時もなかなか決められない。さすがにどれかにしないとまずい雰囲気に耐え切れず、しまいには店員にお薦めを聞いて何とかオーダーする時さえある。
 その栗原が東北楽天入りした今、少し後悔している。入団ではなく、決断自体が遅かったことを、だ。
 2011年に取得したフリーエージェント権は行使しないまま、4年間を過ごしてしまった。当時、東北楽天は栗原の動向を注視していた。決断しなかった理由はカープ愛だった。
 「ずっと居心地のいいところにいちゃ駄目なのかな。燃えるものを、気付かないうちにちょっとずつ失っていた」
 「変形性肘関節症」と診断された右肘と向き合い続けた。12年5月、14年11月と2度手術を受けた。
 痛みで自分の打撃が崩れた。無意識に肘をかばう癖がついていた。「同じように振っているつもりでも、そうならない。『あれ?』『やってくれよ』という感じ」。肉体は気持ちより正直だと思えた。
 投手が投げて捕手が受けるまで1秒もない、勝負の世界。「試合では頭で考えていては打てない」。体で記憶した反応がものをいう。タイミングのずれは致命的だった。
 昨夏ごろ、ようやく修正にめどが付いた。しかし、時既に遅し。若手育成を重視するチーム方針で、2軍でも45打席だけと出場機会は限られた。自分の現在地を確かめる機会すら失われた。そんな空気だった。

<合格を勝ち取る>
 一念発起する時が来た。
 昨年10月、球団に申し出た。「他球団で勝負させてもらえませんか。自由契約でお願いします」。他球団からの誘いがなければ引退。その覚悟は当然あった。
 東北楽天が真っ先に声を掛けてきた。昨年11月、岡山県倉敷市での秋季キャンプで入団テストに臨んだ。「不思議なものですね。追い込まれた時、人間は力を発揮するのかな」。紅白戦で3打数1安打の結果を残し、合格を勝ち取った。
 仙台へ行くのにもう迷いはなかった。「家族を含めて誰かの後押しはなかった。ずっと無難な方を選んできたから、今回は飛び込んでみようかと。カープしか知らないより、今後どうなるにせよプラスになる」
 振り返れば、苦しみ悩んだ4年間は回り道だったのか。これから、古里・東北で最後を飾る花道を歩むことになるのか。昨年12月の入団会見で、「絶対にチームの力になれる」と自信に満ちた表情を見せた。34歳の胸には熱い思いがあり、今はただ光の差す方へ進むだけ、と自分に言い聞かせている。


2016年04月02日土曜日


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