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<五輪栄光と挫折>募る寂しさ 思いは複雑

W杯男子フルーレ団体準々決勝でイタリアにリードされ複雑な表情の太田(左から2人目)、千田(同3人目)ら日本チーム=2月、ボン

◎ロンドンで「銀」もリオ出場逃す/フェンシング男子団体 千田健太

 「立ち直るには時間がかかる」。ロンドン五輪のフェンシング団体銀メダリストの千田健太(阿部長マーメイド食品、宮城・気仙沼高−中大出)は頭を抱えた。2月にドイツであったフェンシングのワールドカップ(W杯)で、日本男子団体は五輪出場権を逃した。
 「男子フルーレは競技の中心的な存在。今後に与える影響が大きい」。同世代の盟友も悔しさをにじませた。20日、東京都内であった五輪代表選手の記者会見で、太田雄貴(森永製菓)は「ここに一人で立つことに、失意の念しかない」と晴れ舞台で一瞬だけうつむいた。
 敗退直後、千田は「長い戦いが終わった。苦しみから解放された。ずっと(出場枠の)ボーダーラインで戦った。これくらい切羽詰まったものはなかった」。安堵(あんど)の気持ちもあった。
 寂しい感情は徐々に湧く。「今まで応援してくれた人に申し訳ない。今は整理が付いていない」。2020年の東京五輪招致に携わり、「今後、(フェンシングが)環境面で良くなることはない」と4年後の地元開催に危機感を抱く。
 ロンドンの時より「実力が付き、若手も出てきた。行けると思っていた」。しかし、思惑は外れた。ロンドン3位のドイツも敗れ、「どこの国が優勝するか分からない」。自身が想定した以上に、世界のレベルが上がっていた。
 選手にとっての特別な場所でメダルを取ったからこそ、五輪の重みを実感する。「みんなが喜んでくれて、子どもたちの(競技に対する)ベクトルが上を向いてくれた」。胸元で輝く銀メダルは、何よりも説得力があった。
 「最高の舞台、集大成にしたい」と出場を目指していたリオ。04年のアテネ大会以来のテレビ観戦になるという。「あの時は(自分がプレーしているのとは)別物として見ていた。今回、どういう感情が湧くのだろう。正直、分からない」。3大会連続出場の夢を砕かれた気持ちの整理は難しい。

[ちだ・けんた]阿部長マーメイド食品。宮城・気仙沼高−中大出。北京、ロンドンと2大会連続で出場し、ロンドンでは男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した。12年10月に出身地の気仙沼市民栄誉賞を受賞。ことし2月にドイツであったW杯で、団体でのリオデジャネイロ五輪出場を逃した。85年8月2日生まれ。170センチ、69キロ。30歳。
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 例えば1964年の東京五輪。男子マラソンの円谷幸吉(須賀川市出身)は陸上界で戦後初のメダルをもたらし、柔道無差別級の神永昭夫(仙台市出身)は優勝を義務づけられながら決勝で敗れた。2人は戦後スポーツにおける栄光と挫折の象徴的な存在と言っていい。東北のアスリートにとって大舞台とは何か。縁のなかった選手も含めて「わたしの五輪」を聞いた。(剣持雄治)


2016年04月27日水曜日


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