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<熊本地震>「高台へ逃げろ」津波教訓後押し

川越さん(奥)は寛政大津波の犠牲者を弔う石碑を前に「歴史を後世に伝えたい」と誓う

 熊本地震の本震が起きた4月16日、有明海沿岸に津波注意報が発表され、熊本県西部沿岸では多くの人が高台に向かった。避難者の頭に浮かんだのは、東日本大震災、そして200年前の津波の言い伝え。大きな地震が久しくなかった熊本でも、それぞれの人の記憶に残る光景が背中を押し、行動を促した。

<数百人が次々>

 「あの映像ば見とるけん。津波は怖か」
 有明海に面する熊本市西区河内町のノリ養殖業川崎武克さん(71)は妻と娘夫婦の4人で車に飛び乗り、高台の公民館に急いだ。避難中に頭をよぎったのは、津波が住宅をのみ込む東北の震災時の場面だった。
 4月16日午前1時25分、マグニチュード(M)7.3、最大震度7の本震が発生。気象庁は2分後、津波注意報を発表した。予想される津波高は1メートル。防災無線や消防団の呼び掛けが真夜中の港町に響き渡る。
 「1メートルの津波が来ます。高台に逃げてください」
 公民館には数百人が次々に集まった。津波は来なかったが、川崎さんは車中で不安な夜を明かした。「こんなことは初めて。たまがった(驚いた)」

<1万5000人犠牲>

 遠浅の有明海の向こうに長崎県島原半島の山並みが見える。河内町は約200年前、津波の被災地だった。約20キロ離れた対岸の山が引き起こした。
 火山活動の活発化で雲仙岳の眉山(まゆやま)が崩落、海に流れ込んだ大量の土砂で津波が発生した。1792年の寛政大津波。高さ20メートル以上の波が押し寄せ、長崎、熊本で計約1万5000人が犠牲になったという。「島原大変、肥後迷惑」。今もそんな言葉が伝わる。
 河内町の塩屋地区では当時、約100人が犠牲になったとされる。ミカン農家川越哲治さん(61)の敷地に犠牲者を弔う高さ約2メートルの石碑が残る。毎年4月の供養祭には自治会幹部ら約30人が集まる。先人の警鐘を引き継いできたことが、今回の避難につながった。
 川越さんは「200年前のような大津波がいつ来るか分からない。歴史を伝えていかないと」と話した。(報道部・氏家清志)


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2016年05月08日日曜日


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