福島のニュース

<適少社会>移住者の発想 閉塞破る

移住者が企画した野外音楽イベント。地域を活気づけようと、村内外からミュージシャンらが集まった=1日、福島県川内村

◎人口減 復興のかたち[34]第7部福島の模索(4)変わる村

 新緑の阿武隈山地にハワイアンが響く。かなたに東京電力福島第1原発と太平洋がのぞく。今月1日、福島県川内村の毛戸(もうど)地区の近くで野外音楽イベント「ノラねこミーティング」が開かれた。踊ったり、手をたたいたり。思い思いに楽しんだ。
 自由気ままに、どこからも人が集まるように。イベント名に思いがこもる。会場は第1原発から20キロ圏内。2014年9月までは原発事故の避難区域で、立ち入りが制限されていた。
 「ここでみんなが笑うのを見ると感慨深い。ここまで来たんだなって」。移住者仲間とイベントを企画した坂本恭啓(よしのり)さん(31)がつぶやく。住んでいた福島県富岡町が全域避難となり、13年夏、村に移り住んだ。
 川内村は原発事故で全村避難した。12年1月、村民に帰還を促す「帰村宣言」を出したが、帰村したのは今年4月現在で1779人。東日本大震災前の人口3038の6割に満たない。
 山あいの静かな農村。隣接する海側の富岡町や大熊町に原発が建つと、村民の多くが関連産業で働くようになった。買い物や医療も両町が頼り。そこは今も全域避難が続く。

 原発事故は村の生活環境を一変させた。漂う閉塞(へいそく)感を打ち破る光が、移住者の自由な発想だ。
 西川珠美さん(27)は大学まで東京で暮らした。放射線工学を学び、就職活動の第1志望は東京電力だった。第1原発を見学した1カ月後、事故が起きた。
 知識を福島で生かしたかった。12年秋、村に当時あった福島大の地域支援サテライトに採用され、放射線対策を担当した。サテライト移転後も村に残り、今は住民グループ「川内盛り上げっ課」の事務局を担う。
 盛り上げっ課は「普通の人が村を元気にするアイデアを持ち寄り、膨らませる場所」と言う。思い思いの未来図が語られる。新規就農者のシェアハウスなんてどうだろう。電気は太陽電池で賄う。共同で電気自動車や農機具を使おう−。

 村内で交流を深め、外からも人を呼び込もうと動く。西川さんが知るだけで事故後、20人以上が村に移り住んだ。「アイデアが村全体に飛び火していけばいい」。メンバーで、40年前に移住した風見正博さん(66)は変革の芽に期待する。
 村も移住支援に力を入れる。一人親を対象に引っ越し代や家賃の一部を助成する施策を検討する。村商工会会長の井出茂さん(60)は「事故後は避難などで人の移動に変化が起きた。移り住む人が解け込めるよう工夫が必要だ。それが村が生き残るすべじゃないか」と話す。
 古里の捉え方は流動化している。西川さんや井出さんらは新旧の村人が手を取り合う新たな川内を思い描く。そこは今、村を離れている人にも帰りやすい古里になるはずだ。


関連ページ: 福島 社会 適少社会

2016年05月10日火曜日


先頭に戻る