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<熊本地震>日航機墜落と震災経験生かし奮闘

自主防災組織を結成した住民と地形図を囲み、次の災害に備えた避難行動を話し合う太田さん(中央)=11日、熊本県阿蘇市狩尾(写真部・鹿野智裕)

 宮城県名取市の元自衛隊員太田幸男さん(52)は単身、熊本地震の被災地に入り、支援不足にあえぐ地域の再建に奮闘する。31年前、日航ジャンボ機墜落事故の現場を隊員として捜索。東日本大震災では名取市閖上でボランティアの立場で懸命に生存者を捜した。壮絶な命の現場と向き合ってきた太田さんは、震災時に受けた全国からの支援を胸に「今度は私が見守る」と、熊本で誓いを新たにする。
 「この川が氾濫したら周辺一帯が水没する」「避難路はここでどうか」
 地図を広げ、住民が意見を出し合う。地盤沈下し、帯状に断層がむき出しになる熊本県阿蘇市狩尾地区。約330世帯の地区住民は避難生活を強いられるが、既に次の災害への備えを見据える動きがある。その中心に太田さんがいた。
 21歳の夏だった。1985年8月、航空自衛隊員として日航機墜落現場で1人の命も救えず、ずっと悔やんだ。震災時は名取市閖上の勤務先が被災。閖上で不眠不休の救助に尽力した。今も復興支援団体に所属し、息長い活動を続ける。
 4月16日午前1時25分、熊本県内で14日夜に続く2度目の「震度7」。「大変だ」。焦燥感が募り、熊本へ向けて24日、車を走らせた。「支援が不足している」。震災の復興支援で知り合った知人から得た情報を基に、阿蘇市に到着したのは翌日だった。
 大規模な地割れや土砂崩れ、傾いた家々…。その姿に立ち尽くした。傍らには物を持ち寄り、炊き出しをしながら身を寄せ合う被災者がいた。車中泊を含む在宅避難者が多いと気付いた。
 避難所はあるが、大雨で浸水したことがあり、多くの住民が敬遠したようだ。「在宅避難者には物資や情報が届かない。震災時と同じだ」
 太田さんは、交流サイトで独自に集めた飲食料や日用品計約40トンを住民に配った。生活支援とともに住民に訴えたのが、自主的な備えの重要性。余震や水害、阿蘇山噴火などに対する備え不足を感じたからだ。
 住民も太田さんの熱意に動かされた。約50世帯が9日、自主防災組織を結成した。代表の山西宗光さん(54)は「物資、防災両面で、地域が前へ進む道筋を示してくれた」と感謝する。
 太田さんは12日に熊本を離れるが、今後も密に連絡を取り合う考えだ。
 「閖上は全国の大勢の人に支えられ前を向けた。今回の地震で傷ついた熊本に恩返ししたい。まだまだこれから」。太田さんは、熊本と共に歩み出した。(報道部・斉藤隼人)


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2016年05月12日木曜日


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