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「被爆倉庫」7月解体 土崎空襲の戦災遺跡

解体が決まった被爆倉庫。右奥の1階内部に空襲で焼けただれた柱などが残る=2015年7月

 太平洋戦争の終戦前夜に秋田市であった土崎空襲で被災した、「被爆倉庫」と呼ばれる旧日本石油秋田製油所(同市土崎港相染町)の建物の解体が7月にも始まる。建物を所有する市は、惨状を伝える柱やはり9本などを、2018年3月開館予定の「土崎みなと歴史館」(仮称)に移して展示する。
 被爆倉庫は戦時中、タンクを置く台などとして使われたとされるが、資料は残っていない。空襲による火災で鉄筋コンクリート製の柱とはりのコンクリートが溶けて鉄骨がむき出しになったほか、天井の床板の一部が焼けただれた。
 戦後、焼け残った構造部分を生かして2階部分が増築されるなどした。延べ約620平方メートルの建物は数年前まで現在のJXエネルギー秋田油槽所が製品試験棟として使っていたが、12年春に強風で破損したため解体を決めた。
 市は、戦争遺跡としての保存を求める市民団体「土崎港被爆市民会議」などの要望を受け、14年12月、JXから建物を譲り受けた。だが、「建物の老朽化が進んでおり、油槽所内に今のまま保存するのは安全上問題がある」(市企画調整課)ことから、柱とはり、天井の床板だけを新施設に移すことを決めた。
 新施設は土崎港西3丁目に建てられ、鉄筋コンクリート2階、延べ約1200平方メートル。土崎神明社祭の曳山なども展示する。総工費は6億9800万円。市は6月議会に建設費を計上する。工期は7月〜来年6月の予定で、被爆倉庫の解体も同時期に行われる。
 市は新施設で、市民会議のメンバーら市民に空襲体験を語ってもらうことを検討している。市民会議事務局長の伊藤紀久夫さん(75)は「被爆倉庫の解体は残念だが、展示の仕方や空襲体験の伝え方を市とともに考えていきたい」と話す。
[土崎空襲]1945年8月14日夜から15日未明にかけ、米軍の爆撃機132機が秋田市土崎港の旧日本石油秋田製油所などを攻撃。約1万2000発の爆弾が投下され、少なくとも市民252人が犠牲になった。


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2016年05月13日金曜日


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