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<楽天 栗原健太>母から忍耐強さ学ぶ

天童二中時代の栗原。3年時に天童市の大会では陸上三種競技で優勝した
栗原順子さん

◎再起への道 ルーツ編(上)焼き肉店で生まれ育つ

 東北楽天の栗原健太内野手(34)は山形県天童市の焼き肉店の長男として生まれ育った。愛情たっぷりの料理でたくましい肉体をつくり、精神的な強さも母から受け継いだ。山形県内屈指の強豪、日大山形高でプロになる技術の土台を築いた。間近で支えた2人の証言でルーツをたどる。(佐藤理史)

 国道48号を西へ進む。仙台市中心部から車で約1時間。サクランボやブドウの果樹畑が広がる地域に「焼肉マルタイ」はある。山形牛を売りにした地元の人気店。栗原の生家だ。
 入り口に縦約3メートルのバッティング姿の巨大看板が掲げられ、3階から「見せろ健太!! 東北魂」の垂れ幕。昨年12月の入団会見で栗原が店を紹介してから、東北楽天ファンが集まるようになった。「週末は宮城や仙台ナンバーの車でいっぱいになる。健太のおかげ」。母順子さん(62)が笑顔で出迎えてくれる。

<愛情弁当 力の源>
 栗原は1982年1月8日、天童市民病院で、体重4500グラムで生まれた。「とにかく、じっとしていない子だった」。小学校に入る前には朝5時から店の駐車場でボール遊びするほど、わんぱくだったという。
 小学生の時は野球以外にサッカー、水泳、相撲と、さまざまなスポーツに取り組んだ。「運動会の駆けっこで『健太、抜けー』と大声で応援すると、必ず追い抜いてくれた。それがうれしくてね」。スポーツ万能の息子が誇らしかった。
 順子さんは身長172センチ。隣接する精肉店に勤める弟泰志さん(33)は193センチ。体格の良さは栗原家の血筋とすぐに分かる。
 焼き肉店に生まれたことはプロを目指す上で有利に働いた。日大山形高時代、栗原は3段重ねの弁当を毎日食べた。下段にカルビ丼、真ん中は卵焼きやウインナーなどのおかず、上は季節の果物が詰まっていた。
 「ただというわけではないけど商売上、肉だけはいくらでもあったから」。愛情と栄養がいっぱい詰まった食事が高校生離れした長打を生む強い体をつくった。

<努力は報われる>
 忍耐強さや努力する大切さを身に付けたのも順子さんの影響が大きい。天童二中の野球部で、エースで4番だった栗原は自分だけが活躍しても、試合で勝てないことを悩んでいた。
 「努力は誰かがきっと見ている。いつ報われるのかは分からないけど、絶対に無駄ではない。負けるな」。母の叱咤(しった)を息子は胸に刻み、プロ入り後も厳しい練習をいとわなくなった。
 順子さんが自分に言い聞かせた思いでもあったという。栗原が中学3年に上がる春、夫と離婚。店の切り盛りと家事に追われ、多忙な日々を送っていた。「同情してくれても、誰も助けてくれるわけじゃない。強くならないと」。そんな母を見て栗原は育った。
 移籍後、実家が近くなった栗原は時折、好物のカルビを食べに来る。順子さんは「楽天に来てから、表情が明るくなった」とささいな変化を感じ取り、ほほ笑む。
 もっと喜ばせる方法がある。「ここぞという場面で打ってくれたら最高だよね」。生まれた時から見守り、励まし続けた一番のファンは、それを心待ちにする。

■栗原のひとこと
 「東北人は粘り強い、我慢強いイメージ。自分もそういう性格を持っています。母は店が忙しく、私の知らない、いろんな苦労もしたと思います。野球に打ち込める環境をつくってくれて、感謝しています」


2016年05月20日金曜日


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