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<ベガルタ>挑戦恐れぬクラブに

[たけなか・よしひさ]愛知工大卒業後、フリーの広告マンに。2000年に川崎スポーツマネジメント(J1川崎)に入社。広報課長や販売&サービス部長、サッカー事業部長を歴任。10年4月からことし3月まで愛知工大経営学部准教授。静岡県出身。

◎新取締役の竹中氏 川崎で誘客、経営基盤強化に成功

 J1仙台を運営するベガルタ仙台は4月、愛知工大経営学部准教授などを歴任した竹中嘉久氏(60)を新取締役に迎えた。2000年から10年間、J1川崎で誘客策に腐心した同氏が抱負などを語った。(聞き手は狭間優作)

 知り合いのベガルタ仙台社員を通じ、西川善久社長から誘いを受けた。若くないが、経験を生かそうと思った。
 川崎入社も社員の誘いがきっかけだった。入社以前はフリーの広告マンとして、サッカー日本代表戦の告知や、自動車メーカーの新車プロモーションなどに携わった。
 川崎時代で思い出に残っているのは、J1昇格が懸かった04年の水戸戦。旅行商品をつくって、バス20台を連ねて敵地に乗り込んだ。昇格が決まり、サポーターと選手は大喜び。自分の判断でバスの出発を遅らせた結果、川崎駅発の終電に間に合わなかった。激怒する一行に土下座で謝罪した。とにかくクラブはサポーターのため、地域のために存在すると常に意識している。
 J2時代、川崎の入場者は1000人ほどの時もあった。誘客に魔法はない。当時手掛けたのは「選挙運動」だ。町内会の会合などに社員が顔を出し、一人一人握手をして名刺を配る。無料券を求められたら「チケットは私たちの飯の種。買ってください」と頭を下げる。プライドは捨て、地道に努力した。仙台でもそういう意識を社員に根付かせたい。
 入社当時の川崎は、親会社・富士通からの出向社員と、1年間の契約社員のみ。出向組は「どうせ腰掛け」の意識が強く活気がなかった。力を入れたのは組織改編だ。やる気のない社員は出向元に戻ってもらい、優秀な契約社員を正社員にした。大手出版社からヘッドハンティングしたり、他クラブの社員を1年かけて口説き落としたりしたこともあった。失敗を恐れない組織になったと自負している。
 社員に予算と権限を与え、失敗すれば尻を拭ってやる。仙台をチャレンジ精神あふれるクラブにしたい。いきなりは無理だが、少しずつ変える。魅力あるスタジアムにし、特に若者を多く引き寄せたい。行政や地域とのコミュニケーションを密にしながら、仙台に新しい風を吹き込めるよう力を尽くす。


2016年05月24日火曜日


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