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<適少社会>上京の思い 若者に変化

釜石市で育った三浦さん。「故郷の役に立ちたい」。Uターンする友人も東京で働く自分も思いは同じだ=東京都千代田区丸の内

 東京都の人口は今年4月1日現在で1357万に達した。都は2020年に1343万人でピークを迎えると見込んでいたが、地方からの流入が加速し、推計を上回るペースで人口が増える。一方で保育園の待機児童が問題となり、超高齢化の未来も確実に迫る。人口減社会の到来を前に、膨らむ超巨大都市が織りなす光と影を見つめた。(「適少社会」取材班)

◎人口減 復興のかたち[41]第9部一極集中の足元(1)吸引力

 瀬川徹さん(67)は1969年、古里の宮城県石巻市から上京した。司法の世界に憧れ、中央大に進学した。
 高度経済成長期、好景気に沸く東京は、夢を抱く地方出身者で沸き返っていた。中卒者は「金の卵」と呼ばれ、出稼ぎ者は家族のために身を粉にした。「みんなで豊かになろうとした時代。誰もが中央に目を向けた」と、瀬川さんは当時の空気を思い返す。
 76年に弁護士登録し、都内の事務所で企業法務の経験を積んだ。「東京のスピード感と刺激に鍛えられ、挑戦ができた」。80年に独立し仕事の幅を広げた。結婚して渋谷区に家を建てた。子どもも生まれた。
 首都圏に住む母校・石巻高の同級生約30人とよく集まる。結束が固く、誰もが郷里に強い思いを持つ。東日本大震災では募金集めに奔走した。家族、仕事と東京に根を張り、まもなく半世紀。Uターンした仲間はほとんどいない。瀬川さんたちの世代にとって、東京は夢を育むだけでなく、実現し続ける場所なのかもしれない。

 東北は人材供給地として東京の発展を支えてきた。都の人口移動報告によると、1979〜2014年の36年間で東北6県が東京に対し転入超過だったのは94、95年の2カ年だけ。差し引き33万3750の人口が東京へ流出した。
 充実した交通網、教育の選択肢の広さ、多様な文化施設。一極集中が街の魅力をつくる。今も多くの若者が東京を目指す。
 一方、「震災後は積極的にUターンしようとする若者が増えた」と指摘するのは、岩手県釜石市の釜石まちづくり会社事業課長の下村達志さん(41)。自らも13年、釜石にUターンした。
 釜石は高卒後、多くが進学や就職で地元を離れる。これまでは多くが片道切符だった。「経験を積んで戻り、復興に貢献したい意識が今の10代には目立つ」と下村さんは肌で感じる。

 釜石南高(現釜石高)から明治大に進学した三浦浩幸さん(30)=さいたま市=は「東京にはあらゆる情報が集まり、新しい文化を受け入れる土壌もある」と語る。都内の外資系IT企業「セールスフォース・ドットコム」で働く。
 同社は昨年10月、和歌山県白浜町に本社機能を一部移した。地方創生を巡る総務省の実証実験の一環で、IT技術を活用し、場所にとらわれずに働ける「テレワーク」の拠点とした。
 三浦さんも今年1〜3月に白浜で働いた。東京と地方の壁を越えるIT産業の可能性を実感した。「震災後、東京から釜石に戻る友人が増えた。現在の仕事を生かして自分も故郷の役に立ちたい」と将来を描く。
 人生観、仕事環境は世代、時代で違う。震災も潮流に大きな石を投じた。遠くで思う故郷から、いつかは帰る古里へ。東京の東北人は意識を変え始めている。


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2016年05月25日水曜日


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