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<五輪栄光と挫折>命懸けで練習 心保てず

柔道整復師として第二の人生を送る森田さん。引退後しばらくは「何もやる気が起きなかった」と振り返る

◎アテネ「銅」24歳でプール去る/競泳 森田智己さん

 19歳の少年の快挙に、人口4万人(当時)の宮城・富谷町が動いた。「やっぱりすごいんでしょうね、五輪に行くことが。人生で何人と知り合うか分からないが、五輪に出場した人に出会わないで亡くなる人が圧倒的に多いから」
 真夜中のパブリックビューイングに、第1号の町民栄誉賞。周囲の大人を「ざわつかせた」と懐かしそうに振り返る。
 アテネで銅メダルを取った直後に見た、応援に駆け付けた母のほっとした表情が忘れられないという。「これで帰れるという顔をしていた。僕は目標として競技に打ち込んだだけなのに、親は周りへの気遣いなど大変だったのだろう。五輪の重大さを知った」と語る。
 1988年のソウル大会で金メダルを獲得した鈴木大地(現スポーツ庁長官)に憧れた。「4歳で夢にしてしまった。僕にとって五輪に出場するだけじゃなく、行って何をするかが大事。そこが目指せなくなったら、やる必要はない」。北京五輪を最後に、24歳で潔くプールを去り、現在は千葉県内で柔道整復師として働いている。
 幼少期から第一線で活躍し、目標はあくまでも金メダル。「それなりの練習で代表に入る自分が想像できない。派遣標準記録をぎりぎり突破して五輪に行くのは格好良くない」。目標のレベルを下げてまで続ける気にはならなかった。
 周囲が惜しむ声も理解できるが、五輪を目指す選手は「健康と真逆の人間」と断言する。「スポーツが健康にいいなどという風潮が怖い。毎日、命を削ってけがをするかどうかぎりぎりのラインを攻めて勝負している。スポーツと言ってひとくくりにされては困る」と語気を強める。
 「気持ちが保てていれば、ロンドンは行けた。リオも行けたかな。(入江)陵介には勝てないけど」。そう思える根拠はある。「いまだに誰よりも練習したと思っている。命懸けだった」
(剣持雄治)

[もりた・ともみ]84年、宮城県富谷町生まれ。宮城・東北高を経て、日大2年時にアテネ五輪に出場し、100メートル背泳ぎとメドレーリレーで銅メダルを獲得した。北京五輪後の08年9月に現役を引退。柔道整復師の資格を取得後、14年4月から千葉県柏市の整形外科医院に勤務。東京都内で妻と1男1女と暮らす。31歳。


2016年05月31日火曜日


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