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<三陸沿岸道>市街地への避難経路に

自宅脇の三陸沿岸道路を見渡す花輪さん。「まさに命の道だった」と震災当時を振り返る=釜石市鵜住居町

◎岩手復興 大動脈北へ(13)孤立回避

<完成6日後被災>
 完成したばかりの道路が多くの命を救った。
 2011年3月5日、三陸沿岸道路の釜石両石インターチェンジ(IC)−釜石北IC間(4.6キロ)が開通した。6日後、道路沿いの岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区は東日本大震災の津波にのみ込まれた。
 「多くの人が亡くなったが、道路が開通していたからこそ救えた命もあった」。同地区に住む建設会社社長花輪孝吉さん(66)は、自宅脇の斜面上を通る沿岸道路を見上げる。
 震災直後、この道路を大勢の人が歩いている光景を見た。動脈の国道45号は寸断。沿岸道路は地震の影響もなく無傷だったため、鵜住居から釜石市中心部への迂回(うかい)路になった。
 日が暮れても人波は絶えない。花輪さんは道路のフェンスを破り、津波被害を免れた自宅や作業小屋を休憩所として提供した。
 「この道路がなければ地区は孤立していた。安否確認や救援活動で果たした役割は大きい」と花輪さんは振り返る。
 海沿いにあった鵜住居小と釜石東中。児童生徒約570人は津波から逃れ、高台にある国道45号の恋の峠付近にたどり着いた。
 何とか逃げ切ったものの、釜石東中副校長だった村上洋子さん(58)=現大船渡市日頃市中校長=は強い不安に襲われた。「このままでは、子どもたちが孤立してしまう」
 峠から見える鵜住居地区は津波で壊滅。南にある両石地区も津波にのみ込まれたとの情報が伝わった。
 「この道路に上がれば釜石に行けるぞ」。上の方から声が聞こえた。高さ3メートルほどの斜面を登ると、沿岸道路に出た。止まっていたトラックや乗用車が、子どもたちを市街地に近い避難所まで運んでくれた。

<備蓄倉庫も新設>
 村上さんは「子どもたちを少しでも安全な場所に移動させることができた。沿岸道路が避難経路として役に立つとは考えてもいなかった」と語る。
 鵜住居でささき歯科医院を営む佐々木憲一郎さん(48)は避難した際、沿岸道路斜面の作業車用道路を駆け上がった。作業車が沿岸道路に上がるための比較的急な坂道だ。本来の避難場所は沿岸道路下の寺院。津波はそこまで押し寄せていた。
 斜面の先には駐車スペースがあり、住民70人ほどが逃げ込んだ。翌日未明には自衛隊や消防の車両が続々と到着した。「助かった。孤立していないんだと恐怖が和らいだ」という。
 震災後、作業車用道路は避難場所に指定され、登り口には備蓄倉庫も新設された。佐々木さんは沿岸道路の意義をかみしめる。
 「三陸沿岸道路はほかの自動車道と違い、防災面の役割が違う。今は沿岸道路までたどり着けば何とか助かる、と思っている」
          ◇         ◇         ◇
 震災直後、三陸沿岸道路の岩手県内の一部開通区間は「命の道」となった。大動脈は震災で得た教訓とともに北へ延びる。(盛岡総局・山形聡子)


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2016年06月01日水曜日


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