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<内陸地震8年>生活再建過程に焦点を

 激震による大規模地滑りや山腹崩壊、河道閉塞(へいそく)など山地災害が相次いだ栗駒山麓。治山や砂防工事が進んで山麓は穏やかさを取り戻したが、その一方で「地震のすさまじさ」を示す痕跡を目の当たりにする機会は少なくなった。どのようにして内陸地震を後の世代に伝えるべきか。日本ジオパーク委員会委員で宮城学院女子大の宮原育子教授(61)=地理学=に聞いた。

◎宮城学院女子大 宮原育子教授に聞く

 宮城県栗原市は内陸地震でできた荒砥沢崩落地などを中核的地形と位置付け、ジオパークとして保存、活用する道を選んだ。地形の大規模改変を伴う災害が起きても、復旧工事をして元の生活に戻ると人々は災害時のことを忘れてしまう。ジオパークにしたのは賢明な判断だった。
 災害を映像や写真で残せるようになったが、人々が記憶して後世に伝えるのは難しい。栗原市では地元ガイドが崩落地を案内しながらフェース・ツー・フェースで見学者に地滑りのメカニズムなどを解説している。被災現場にはコンピューターの画面にはない迫力と現実味がある。
 荒砥沢崩落地の危険性を少なくするため治山工事は必要だし、雨風にさらされて地形はなだらかになり、草木も生える。それは仕方ないことで、変化に合わせて伝える手法を工夫すればいい。
 自然災害については規模を伝えようとしがちだが、「発災後、市民らがどのような過程を経て日常生活を取り戻したか」にもっと焦点を当てるべきだろう。
 荒砥沢崩落地に近い栗駒耕英地区の人たちは避難指示・勧告が解除さるまでどうやって生活していたのか。ライフラインが回復したのは何日後だったか。復興、復旧の足取りを伝えれば、次の災害が発生したときの参考になる。
 3年ほど前、東日本大震災の津波被災地で、フィリピンやインドネシアなど主に東南アジアの国の危機管理担当者が国際協力機構(JICA)主催の研修会に参加したとき、彼らは東松島市のがれき分別に驚き、感銘を受けていた。
 宮城県東松島市はがれきを19種類に分別したことで、リサイクルなどの処理が早く進んで復旧の足掛かりになった。津波の災害規模が注目されると思っていたが、そうではなかった。
 発災から時間が経過したからこそ気付くこともある。伝えるべきことは災害の規模や生々しさだけではない。


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2016年06月14日火曜日


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