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<適少社会>一人多役で村を支える

畑で作業をする佐々木さん。自分の焼酎造りでこうじに使う麦を拾い集めていた=東京都青ケ島村

 人口急減に直面する被災地は「適少社会」へ向かう道筋をどう見いだせばいいのだろう。全国の事例を反射板の光として被災地を照らし、その取り組みを見つめ直した。(「適少社会」取材班)

◎人口減 復興のかたち[51]第11部答えの在りか(1)極小自治体

 人口減の先には何が待つのか。東日本大震災の被災地を出て、東京都青ケ島村を目指した。都庁から358キロ、伊豆諸島の有人島で最南にある。面積5.98平方キロの活火山島に5月1日現在、159人が住む。日本の自治体で最も人口が少ない。
 住民の多くは仕事を掛け持ちする。一人多役。人手が足りない分、目立った産業がない分、兼業が暮らしを支える。
 「建設の仕事をすれば月に30万円はもらえる。観葉植物の切り葉を栽培して、牛を飼えば、年に600万円くらいの収入にはなる。みんなけっこう豊かに楽しく暮らしている」。胸を張るのは、村議会議長の菊池正さん(70)だ。
 菊池さんは民宿経営に焼酎製造、和牛繁殖、養鶏、農業と手広く働く。妻と2人暮らし。4人の子どもはみんな島外にいる。「内地で働くより、島で民宿をやる方がよっぽどカネになるけれど、みんなやりたいことがあるようだ。島を出るなとは言えない」
 自らも中学卒業後、25歳で島に戻るまで建設労働者、トラック運転手として全国で働いた。海外が見たい一心でマグロ漁船にも乗った。「今も40歳、50歳になると島に帰る人が割といる」と悲観はしていない。
 人口の少なさは一人一人が役目を複数担うことで補えると考える。「人がたくさんいれば、誰かがやってくれるかもしれない。島は自分が動かないと暮らせない。みんな自立心は強い。159人でも十分やっていける」と自負する。

 佐々木宏さん(71)も民宿経営に焼酎製造、農業と一日中忙しい。畑では焼酎の原料にするサツマイモ、麦の他、トウガラシ、ネギ、キャベツ、パッションフルーツなど多品目を栽培する。出荷はしない。民宿で使ったり、近所に配ったり、時々は小中学校の給食室にも届ける。
 中学卒業後は本土で大工として働いた。27歳でUターン。漁業もやったし、島初のスナックを経営したこともある。「村議、村長、漁協組合長、消防団長、青年団長。長のつくものはみんなやった」と笑う。
 村長経験者として実感するのは単独の自治体であり続ける意義だ。八丈島と町村合併した八丈小島が衰退して1969年に無人島化した例を引き、「単独の村だから生き残ってきた」と強調する。

 青ケ島は1785年の噴火で島民の3分の1以上が犠牲になり、1824年に帰島するまで八丈島での避難を余儀なくされた。
 佐々木さんは先祖の苦難と復興の歩みが、東日本大震災の被災者、東京電力福島第1原発事故の避難者の姿に重なるという。「時間をかければ必ず復興する。古里に帰れる」と励ます。
 一人多役が人口159の村を成り立たせる。大災害を乗り越えた歴史が心を支える。日本最少の村には人口減社会を生き抜く働き方、暮らし方があった。


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2016年06月15日水曜日


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