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<適少社会>噴火で避難復興に50年

日本最少の自治体、青ケ島村。太平洋に浮かぶ二重カルデラの火山島に160人足らずの住民が暮らす(青ケ島村提供)

 青ケ島は1785年の噴火で大きな被害を受けた。村発行の「青ケ島の生活と文化」によると、噴火前、島には343人が住んでいたが、八丈島に避難できたのは203人だった。
 避難直後から島民は名主を中心に「還住(帰島)」を目指した。先発隊を島に派遣し「起こし返し」と呼ぶ復興に取り組んだ。しかし、渡船や食料を送る船の難破や漂流が続き、名主を含め多くの犠牲者が出た。島民の人口は1803年には131に減った。
 1801年には復興を中止し、先発隊を引き揚げた。再開したのは佐々木次郎太夫が名主になった1817年。周到な準備と指導力で復興は進み、1824年には名主ら数人以外は帰島が実現。1835年に検地が行われ、全員の還住と起こし返しが成就した。
 民俗学者の柳田国男は次郎太夫を「青ケ島のモーゼ」とたたえる。復興後の島は1881年に人口が754とピークに達した。
 現在も青ケ島は火山活動を続けており、気象庁の常時観測火山となっている。島には地熱蒸気の噴気孔「ひんぎゃ」が数多くあり、塩製造やサウナ、調理に活用されている。
 島の防災は噴火対策が最大の課題だ。集落から港への道は火口付近を通る。避難道を建設中だが、完成までは10年はかかるという。
 村防災担当の広江弘美さん(41)は「爆発したらアウト。その前に避難しなければならない。全島避難した大島や三宅島は船が使えたが、ここはヘリコプターになるだろう」と話す。
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 日本で一番人口の少ない自治体、東京都青ケ島村は最も近い八丈島から71キロ離れた絶海の孤島だ。現在は1日1便のヘリコプターと週4便の船が八丈島との間を結ぶが、1972年までは月1便の船しかなく、海が荒れて数カ月、寄港が途絶えることが珍しくなかったという。無線電話が通じたのは56年。その年の参院選までは国政、都政の選挙に投票できなかった。江戸時代後期には噴火で八丈島に全島避難し、約40年後に帰還した歴史もある。人々は困難を越え、今も島に住み続ける。


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2016年06月15日水曜日


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