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<へりおす沈没30年>犠牲の息子弔う父92歳

「天国で仲良くやっているか」。弘子さんと弘明さんの遺影に語り掛け、手を合わせる小林さん
津波に耐えた慰霊碑。隣の歌碑には<再びも三たびも生(あ)れよ海洋の熱き抱負を遂げむ為(ため)にも>と弘子さんが犠牲者らに寄せた思いが刻まれている
海底230メートルから引き揚げられた海洋調査船へりおす=1988年7月11日、福島県相馬市沖

 福島県相馬市沖で1986年に起きた民間海洋調査船「へりおす」沈没事故から17日で30年がたつ。漁業の発展を夢見て船出した乗組員9人が若い命を絶たれた。遺族や当時を知る関係者は減り、記憶の風化が進む。一人息子を失った小林貢さん(92)=千葉県白井市=は「三十三回忌までは長生きして、弔ってあげたい」と追悼の思いを新たにする。
 調査員だった長男の弘明さん=当時(27)=は、いずれも20代や30代の仲間と海に消えた。小林さんは遺族会代表として船会社と交渉。事故から2年後、海底230メートルに沈んだ船の引き揚げを実現させた。
 傷ついた船体から、弘明さんら4人が遺体で見つかった。行方不明の肉親の手掛かりを求める小林さんらの熱意が実を結んだ。
 その2年後、住まいがあった神奈川県から相馬市に、妻の弘子さん(2012年に死去)と移り住んだ。縁のない土地だったが、「少しでも弘明の近くにいたい」と決断した。
 月命日は欠かさず、遺族会が慰霊碑を建てた鵜ノ尾岬に足を運んだ。花を手向け、息子を奪った海と向き合う鎮魂の日々は続いた。
 「地元の人たちには感謝してもしきれない。温かい心遣いが支えになった」と小林さん。船体引き揚げの時、漁師たちは作業に支障を来さないよう現場一帯で休漁してくれた。毎年のお盆は、住民手作りの灯籠が波間に揺れた。
 高齢の2人暮らしを心配する周囲の勧めもあり、10年を区切りに白井市へ移った。愛着を抱く相馬市が東日本大震災で大きな被害を受け、夫婦で心を痛めた。
 昨年夏、震災後初めて鵜ノ尾岬を訪れた。津波による流失を免れた慰霊碑の場所までは、復旧工事のために行けなかったが、近くの岸壁から事故と震災の犠牲者の冥福を祈った。
 小林さんは30年の歳月に思いを巡らせながら「妻はよく『海は憎い。でも、息子が愛した海だからいとしくもある』と口にしていた。海から教えられた教訓を引き継がなければいけない」と2人の遺影に誓う。

[「へりおす」沈没事故]へりおす(全長26メートル、50トン)は1986年6月16日、静岡県清水港から北海道に向かう初航海中、相馬市沖で沈没し乗組員9人が死亡した。事故原因は高等海難審判庁(当時)が92年6月、「建造ミス」とした一審裁決を覆し、「荒天時に対する準備不足」との裁決を出した。


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2016年06月16日木曜日


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