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<適少社会>発想を転換 変化に挑む

今年最後の桜満開牡蠣を水揚げする佐々木さん=5月28日、釜石市片岸町の室浜漁港沖

◎人口減 復興のかたち[54]第11部答えの在りか(4)なりわい再発見

 全てを奪われた災後のまちは、暮らしの礎をどう立て直すか。東日本大震災の被災地では、なりわいの新たな形が育ち始めた。取り組みは、他地域の刺激にもなりつつある。
 津波で壊滅的な被害を受けた岩手県釜石市片岸町の室浜漁港。カキ養殖の漁師は漁船や家を失い、約70世帯のうち室浜に戻るのは約20世帯にとどまる。多くが養殖再開を諦めた。十数人いた釜石東部漁協一粒カキ部会は、たった2人に。起死回生の策は冬の印象が強いカキを、あえて春に出荷することだった。
 その名も桜満開牡蠣(がき)。春は味が濃厚になる。カキ部会長の佐々木健一さん(44)は「手間はかかるが栄養豊富。本当の旬を知ってほしい」。里海と向き合い導いた答えだ。
 育ちの遅いカキを間引き、手間暇かけて大きく育てる。産卵前の肉厚で味のいいカキの身は10センチほど。5月まで水揚げし、今年は約4万個だった昨年を大きく上回る見通しという。
 消費者との関係も改めた。出向いて1個300円で実演販売したり、作業を体験してもらったり。「本当にうまい」。食べる人の評価を直接聞き、見えなかったものが見えてきた。「数を売って稼ぐのが漁業と思っていた。今は、味で選んでもらえる確かなものを届けたい」

 被災地のゼロからの挑戦は、釜石市から1200キロ離れた熊本県八代市の漁業者を奮い立たせた。
 「何もせずにはいられなかった。釜石がわれわれの手本になっている」。八代市の鏡町漁協職員松藤章吾さん(33)は振り返る。
 震災があった2011年。6月に熊本県を襲った集中豪雨は、八代市鏡町の漁師を存亡の危機に陥れた。大雨で海の塩分濃度が薄まり淡水化し、主力のアサリがほぼ全滅。被害総額は約2億円に上った。悲劇は続く。アサリが消え、餌のプランクトンが急増。栄養分が食いつぶされ、アサリと二本柱の養殖ノリまで売れなくなった。
 暮らしの糧を失った漁師たちが目を付けたのは、プランクトンを餌にするカキの養殖だった。
 八代海で東松島市の種ガキを育て、13年度は約8トンを初めて水揚げした。売り先がなかったため、14年1月、漁協自らカキ小屋を開いた。漁師の家族が客をもてなし、副収入にした。
 15年度は12トンまで伸びた。生食用として東京や沖縄などのオイスターバーにも提供し、本格的な出荷を目指す。
 漁協組合長の山口秀康さん(59)は「他の産地に数量ではとてもかなわない。質で信頼を得て、鏡オイスターのブランドを高めていきたい」と強調する。
 カキ生産部会は現在20人弱。「カキを育てたい」と、久々に20代の新人が加わった。「会社勤めより漁師がよかばいって言い切れるよう道筋をつくりたい」。カキ生産部会長の三枝勝男さん(52)は意気込む。漁協は今年4月の熊本地震でも被害を受けたが、それでも前を向く。

 釜石、熊本ともに、災害が海をなりわいとする人たちの環境を大きく変えた。
 「変化に柔軟、かつ思い切りよく挑む覚悟と発想の転換が大事だ」。桜満開牡蠣の販売を担うまちづくり会社「釜石プラットフォーム」(釜石市)社長の三塚浩之さん(53)は言う。
 秋から冬にカキを売り出す巨大な流通、外食産業のメニュー切り替え時期で「旬」が決まる。1次産業を振り回す経済至上主義へのささやかな抵抗も、春ガキ挑戦のきっかけだった。
 三塚さんの下には今年、県内外から100件を超える注文が舞い込み、年々増えている。「生産者と消費者をつなげ、産地の思いを伝えたい。それが里海を守ることにもなる。熊本とも連携したい」


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2016年06月18日土曜日


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