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<津波宿命の地で>犠牲者数の真相に迫る

旧唐丹村の犠牲者名が記された盛岩寺の掛け軸を調べる木村さん

◎明治三陸大津波120年(中)釜石・唐丹

<努力が実る>
 120年前の真相に迫る努力が実りつつある。
 大船渡市の郷土史家、木村正継さん(69)は、明治三陸大津波(1896年)の被害が甚大だった釜石市唐丹地区(旧唐丹村)の犠牲者数を改めて調べている。
 一般的には「1684人」と伝わる。旧気仙郡の町村別の犠牲者名や人数を記録した大船渡市の洞雲寺の大位牌(いはい)では「1744人」。文献によって別な数字も散見され、疑問が膨らんだ。
 「村に滞在中に命を落としたほかの地域の人、逆に別の地域で亡くなった村民をどう数えるかで数字は異なる。これまでに誰も正確に被害の実態を把握できていない」
 大位牌の名前を全て抜き出し、唐丹地区の盛岩寺に伝わる当時の村民犠牲者「1649人」を記載した掛け軸と突き合わせた。他の寺も回り、檀家(だんか)の死者名や死亡日を記した過去帳を調べた。入念な作業で犠牲者を数え上げた。
 約2年半かけ、村の内外で犠牲になった村民は「1945人前後」と結論付けた。木村さんは「疑問は残るが、実際の数字にかなり近づけた」と手応えを語る。

<風化させぬ>
 調査は、木村さんら有志でつくる「唐丹の歴史を語る会」が今秋の出版を目指す災害史作成の一環。2013年3月に発行した住民の東日本大震災の体験談集の続編で、明治の津波以降に唐丹を襲った災害を伝承しようと企画した。
 明治の津波、1933年の昭和三陸津波、震災の三つの大津波に加え、13年の大火も取り上げた。明治の津波後に再建した家屋など200戸以上が一夜で焼失した悲劇だ。
 会長で元市教育長の河東真澄さん(76)は「特に津波は、豊かな海と共存する上で避けられない。災害史を通じ、後世に警鐘を鳴らしたい」と説明する。
 子どものころから就寝時は枕元に服を畳み、地震後はすぐに逃げるよう教えられた河東さん。唐丹でもそうした教訓の風化が進み、防潮堤の完成で防災意識が緩みつつあった。そんなとき、震災が起きた。
 木村さんは「津波の記憶が薄れ、被害が繰り返されたこと自体を震災の教訓としなければいけない。明治の場合は地震が小さいのに津波が巨大化した事実も知ってほしい」と言葉に力を込める。

<教訓 未来へ>
 災害史の原稿はほぼ完成した。今後は地元の大船渡市三陸町吉浜地区で調査を続ける。明治三陸大津波の犠牲者約10人の子孫を訪ね、当時の住所が唐丹でなかったかどうかを確かめるつもりだ。
 「先祖が明治の津波で死んだことを知らない人も多い。歴史にうずもれた犠牲者に光を当てることが、供養になる」
 人々の無念を教訓として未来につなぐ。地道な探究は終わらない。
(釜石支局・東野滋)

[メ モ]唐丹地区は唐丹湾に面する人口約1700の漁業集落。明治三陸大津波後にまとめられた「三陸大海嘯(かいしょう)岩手県沿岸被害調査表」によると、犠牲者は1684人で、当時の地区人口2535の66.4%に当たる。東日本大震災では地区内で11人が亡くなった。


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2016年06月19日日曜日


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