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<津波宿命の地で>「すぐに避難」劇で警鐘

津波被害を伝える綾里小の看板を見詰める熊谷さん。東日本大震災の津波で倒れたが、再び設置された=大船渡市三陸町綾里

◎明治三陸大津波120年(下)大船渡・綾里

<祖父が体験>
 祖父の実体験だった。
 岩手県大船渡市三陸町綾里地区の熊谷励さん(69)は、地元の綾里小校長だった2006年と07年、学習発表会で6年生の劇の脚本を書いたり、演技を指導したりした。
 題は「暴れ狂った海」。
 主人公は幼い頃、明治三陸大津波(1896年)で孤児となり、おばの嫁ぎ先で肩身の狭い思いをする。大人になり故郷に戻ったが、昭和三陸津波(1933年)で再び被災。家族は避難して助かったが、馬を連れ出そうとして逃げ遅れた親類は津波にのまれ、両脇に抱えた両親を亡くす。
 「もさくさってっと死んでしまうぞ。明治んどぎも流されだんだぞ」
 「おらあ、馬っこさ行がねばこんなごどにあなんねえがった。堪忍してけろ」
 怒り、嘆き、焦り、悔い…。地元の方言を使った児童の迫真の演技。津波の恐ろしさが際立ち、保護者や住民の心に響いた。
 熊谷さんが暮らす白浜集落は、明治の津波で最大波高の38.2メートルを記録。ほとんどの家が流失し、人口の7割以上が死亡した。昭和の津波でも大半が流され、人口の2割が亡くなった。
 既に他界していた祖父の話は、父から聞いた。「地震があれば津波が来る」「船なんか取りに行かず、逃げろ」。父は繰り返した。

<教師の使命>
 定年直前、熊谷さんは母校の綾里小に赴任した。過去の津波災害を学ぶ機会はなく、避難訓練は火災想定が中心だった。「命に関わる話。親から伝えられたことを次代に引き継がなければならない」。教師の使命と感じた。
 子どもを通じ、住民にも知ってほしい。地域のつらい出来事も「自分の家のことなら問題ないはず」と祖父を劇のモデルにした。
 同小と三陸鉄道綾里駅前には、明治と昭和の津波被害を集落ごとに説明する看板を設けた。まとめた文書を地区全戸に配り、「災害は忘れたころにやってくる」と警鐘を鳴らした。
 退職して約3年後、東日本大震災が起きた。「劇を思い出し、避難して助かった」と住民に感謝された。
 出演者の一人、千葉祐子さん(22)は地震時、綾里地区の商店兼自宅にいた。津波を予感し、すぐに近くの山に駆けた。
 一瞬の判断が生死を分けると劇で学んだ。「演じていなければ、地震しか注意していなかったかもしれない」と振り返る。

<教科書にも>
 「暴れ狂った海」は小学5年向けの一部の社会科教科書で紹介されている。綾里小では震災後、取り組まれていない。被災した児童がいて、生々しいからだ。
 「スマートフォンなどが普及して伝え方は多様化しているが、子どもの心に訴え掛けることが重要だ」
 10年前、劇で悲しみを追体験した教え子たちは、ぽろぽろと涙をこぼした。その光景が熊谷さんの頭から離れない。(大船渡支局・坂井直人)

[メモ]旧三陸町史によると、大船渡市三陸町綾里地区は明治三陸大津波で、当時の人口の56%に当たる1269人が犠牲になった。市によると、東日本大震災の死亡・行方不明者は27人。明治と昭和の津波で壊滅的な被害を受けた白浜集落は高台に移転。震災で人的被害はなかった。


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2016年06月20日月曜日


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