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<リオ五輪>バレー佐藤 野性的な勘すごい

リオデジャネイロ五輪世界最終予選のイタリア戦でこぼれ球に飛び付く佐藤あり紗=5月21日、東京体育館
「元五輪選手の自分が五輪代表のリベロ、あり紗をつくるきっかけになったとしたら、面白いかな」と話す佐藤伊知子さん=東北福祉大

 バレーボール女子で1988年ソウル五輪、92年バルセロナ五輪に出場した東北福祉大女子バレーボール部監督の佐藤伊知子さん(51)は、64年東京五輪から続いた日本女子のメダル獲得がソウル五輪で途切れた結果を今も背負う。それだけに、同大の後輩でリオデジャネイロ五輪代表入りが有力な教え子、佐藤あり紗(26)=仙台市出身、日立=に特別な期待を寄せる。

◎東北福祉大女子バレー部監督 佐藤伊知子さん

 「当時の日本では『女子バレーはメダルを取って当たり前』という雰囲気があった。メダルを逃したのがトラウマ(心的外傷)になり、今もあの時の映像は見られない」と打ち明ける。
 主将としてバルセロナ五輪出場を懸けたアジア選手権では髪の毛が抜けるなど、心身共に追い込まれた。同五輪では痛めたひざが限界を超え、2日に1度、水を抜きながら試合に出た。「100パーセントのプレーができないのに行くのはつらかった」
 ソウル五輪4位、バルセロナ五輪5位。「お茶の間でテレビを見ていた人から『メダルを取れなかったね』と言われるのが苦しかった」。だが、その経験が指導者としての今を支える。「糧になっているものは、五輪で勝つためにと言って練習してきた中にある。心が折れて治って、また挑戦し、(チームの)組織が壊れて修復する。その過程が財産」と言う。
 代表入りを辞退したこともあるあり紗に対し、伊知子さんは「今後の人生で五輪に出たかどうかは大きな意味を持つ。どんな結果になろうとも挑戦した方がいい」と助言した。
 あり紗には中学時代から注目していた。「身長は164センチと大きくはないが、とてつもない運動能力を持ち、動物みたいな選手」だという。宮城・古川学園高時代に福祉大に勧誘すると「アタッカーしかやりません」と言って入部した。
 守備専門のリベロの適性を感じたが、本人の意思を尊重した。だが、2年時の東北大学秋季リーグで尚絅学院大に敗れた後、リベロだった主将の進言と本人の意向が一致し、転向した。
 もともとアタッカーで、セッターの練習もしていたので、オーバーパスが使える。加えて、すごいのは「野性的な勘」。「経験や理屈からくるポジショニングでは考えられない所に、最初からいる」と舌を巻く。
 リオ五輪世界最終予選の先月の試合では調子が悪く、悔し涙を見せる姿も。伊知子さんは昔の自らと重ね合わせ、「五輪代表のリベロは多分1人。調子が悪いとか痛いとか言っていられない。自分の出来が勝敗に直結するのでつらいだろうが、逃げずに向かっていってほしい」と奮起を促す。
 五輪代表は早ければ来週にも発表される見通しだ。(宮田建)

●佐藤伊知子(さとう・いちこ)1965年仙台市生まれ。宮城・聖和学園高、東北福祉大卒。大学時代の85年に日本代表に初選出され、87年にNEC入り。ソウル、バルセロナ両五輪に連続出場し、バルセロナで主将を務める。93年に引退し東北福祉大講師と女子バレーボール部監督に就任。現在、准教授。仙台市在住。51歳。


2016年06月21日火曜日


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