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<三鉄>「復旧は使命だった。でもゴールではない」

もちづき・まさひこ 花巻市出身。山形大卒。74年岩手県庁入り。県盛岡地方振興局長を経て、10年に三鉄社長就任。退任に合わせ、宮古市から盛岡市に転居した。64歳。

◎社長退任の望月正彦さんに聞く

 東日本大震災で甚大な被害に遭った三陸鉄道の復旧を指揮した望月正彦社長が退任した。被災から全線復旧までの道のりを振り返ってもらった。(聞き手は宮古支局・高木大毅)

 −震災発生時の心境は。
 「もう駄目だと言う社員もいたが、早く動きだしたかった。鉄道が廃止されて栄えた街はない。被災現場に行った時、住民に『三鉄はいつ動くんだ』と問われ、復旧は使命だと感じた」
 −震災5日後には一部で運行を再開した。
 「当時、県庁内部には『なぜそんなに無理をするのか』との声があったが、一部再開でも助かる人は必ずいる。可能な部分で再開がベストと考えた」
 −2011年4月、3年以内復旧の方針を固めた。
 「3年での復旧は不可能ではない、との調査結果だった。やるしかないと退路を断つ意味もあった。迅速に手を打つことで、地域の支持が得られ、経費も抑えられる。復旧費は国の予算が約108億円ついたが、結果的に約91億円だった」
 −14年4月に全線復旧を果たした時の思いは。
 「約束を果たせたことには万感の思いがある。地域の歓迎が何よりうれしく、感謝している。全26駅に人が集まり大漁旗を振っていた。素晴らしかった。三鉄が地域生活に必要とされていると改めて感じた」
 −三鉄は復興のシンボルになり、震災学習列車など企画列車を増やした。
 「復興への努力が地域や全国に認められた結果。三鉄維持のセールスポイントにもなった。震災から5年が過ぎ記憶の風化が進む。観光だけでなく、教訓を学んでほしい。復旧はゴールではない。定期客は今も震災前の6割にも満たない。被災経験を生かした取り組みで会社として収入を増やせるし、地域の活性化にもつながるはずだ」


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2016年06月25日土曜日


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