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<適少社会>地元ニーズ 努力の糧に

[きくち・もりお]相馬市生まれ、東北学院大経済学部卒。キクチ商品部長などを経て2016年4月から現職。キクチの創業は1863年に先祖が始めた米穀商。1995年にスーパーキクチからフレスコキクチに店名変更した。

◎私が考える適少社会/食品スーパー運営「キクチ」社長 菊地盛夫さん

 キクチ(相馬市)が運営する食品スーパー「フレスコキクチ」は宮城南部で7店、福島沿岸北部で5店営業する。地元スーパーとして地域の人に選ばれるよう最大限努力する。人口減少はそれほど心配していない。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で人材確保が難しくなった。震災前の75%の人数で切り盛りする。年中無休をやめて月2日の休業日を設けたり、従業員が比較的多い宮城の店から福島の店へ応援を出したりしている。
 毎年、復興に関わりたいとU、Iターンで数人が入社する。今年も横浜市出身の大学新卒女性が入社した。休日はボランティアに通う。人口流出が続く被災地に来て頑張ってくれる仲間の存在は心強い。
 地域とのつながりは地元スーパーの生命線だ。仮設住宅などで暮らすお年寄りの外出機会が減っている。スーパーをお茶会や料理教室など地域コミュニティーの場として利用してもらえるよう調整している。相馬市内では2014年、移動販売車での営業を始めた。
 福島産の生鮮品は検査体制が整った震災の約1年後から扱っている。風評被害は落ち着いてきた。反応をみて売り場の拡大と縮小を繰り返してきた。今は震災前の9割近くまで売り上げが戻った。鮮度も品質も自信がある食材を並べている。あえて「安全」や「安心」は強調していない。
 震災で地元スーパーの役割を再認識した。原発事故直後、大手スーパー、コンビニエンスストアが南相馬市と相馬市の店を閉めた。われわれはそうはいかない。地元の人はスーパーを必要としていた。南相馬の4店は、震災3日後まで営業を続けた。
 福島沿岸部への物流が途絶え、自分たちで仙台市や郡山市に商品を取りに行った。燃料調達に困ったが、近くの農家が農機具の軽油を分けてくれた。相馬店(相馬市)は早朝から駐車場いっぱいに列が続いた。
 震災1週間後、いよいよ供給が難しくなり店を閉めた。事務所に電話がひっきりなしにかかってきた。多くは「今まで営業を続けてくれてありがとう」との感謝の声だった。地元のために店を休むわけにはいかないと、気持ちを立て直し、3日後の再開を果たした。
 大手資本の店は人口減で不採算になれば撤退という選択ができる。われわれは、育ててくれた地元の人が必要とする限り、営業の努力を続ける。10月末には宮城県山元町のJR常磐線新山下駅前に出店する。
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 今後、少子高齢化を伴う人口減が日本各地で確実に加速する。東日本大震災の被災地では、その傾向が既に顕著だ。現状をどうとらえ、人口が減っても安心して暮らせる「適少社会」をどうつくるか。連載を終えるに当たり、首長、企業経営者、研究者、住民の立場で被災地の復興に深く関わる4人に、それぞれが考える「適少社会」のあり方を聞いた。(「適少社会」取材班)


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2016年06月26日日曜日


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