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<三宅義行>頂点へ 娘と二人三脚

五輪を想定した三宅宏実(中)の試技を、父でもあり、監督でもある義行が見守った=味の素ナショナルトレーニングセンター

 1968年メキシコ五輪で銅メダル。金メダルにこそ届かなかったが、重量挙げに全てを懸けてきた。現在、女子日本代表監督として選手と共に闘う三宅義行の足跡をたどる。(佐々木貴)

◎敗れざる人(1)挑戦/一緒に筋肉痛が起きる

 リオデジャネイロ五輪開幕までわずか。18日、重量挙げ女子日本代表4人が練習を公開した。選手たちの表情は厳しく、会場には緊張感が漂う。が、唯一、泰然とする好々爺(や)がいた。

<女子の代表監督に>
 三宅義行(70)=宮城県村田町出身=。68年メキシコ五輪銅メダリストで、世界を知り抜く。現在は女子日本代表監督を務める。「日本の女子は上位を狙える力がある。その映像を見た次世代の子供たちに『東京五輪に出たい、頑張ろう』と思ってもらえたらいい」。最大の目標を、そう言う。
 代表4人のうち、12年ロンドンに続き53キロ級で2大会連続出場の八木かなえ(24)=ALSOK=は「世界で戦う上で今まで知らなかった経験談を話してくれる」と三宅に全幅の信頼を置く。
 ロンドン五輪では、二人三脚で指導してきた長女の宏実(30)=いちご=を48キロ級で銀メダルに導いた。日本女子としては初のメダリスト、男子を含めても28年ぶりの快挙だった。
 宏実は中学3年で競技を始めた。「16年間一緒。『今できることを見つけて精いっぱいやれ』といつも言われてきた。父の言葉には力があり、『よし、頑張ろう』という気持ちにさせてくれる」と感謝する。
 重量挙げは、自分の体重の倍以上に及ぶバーベルを持ち上げる。心身のわずかな乱れがはっきり数字に表れてしまう。誰より練習したと思っても、結果が出ないことさえある。
 父と娘は当初、ぶつかり合った。「何でこんなこともできないんだ」。自衛隊体育学校などで教えた三宅は叱咤(しった)した。しかし、男女の教え方は違うと気付いた。「大事なのは意欲を持たせること」。やがて自主性を重視するようになった。
 とはいえ、宏実がバーベルを持ち上げる時、三宅は「一緒に挙げている感覚」で見ている。「一緒に筋肉痛が起きる。重さも痛みも、心理状態も分かるから」

<現場に立てる喜び>
 三宅は33歳で現役を引退した。以降、バーベルを手にしていないが、今も現場に立てることに喜びを感じる。「本番に調子のピークを合わせるのはとても難しい。うまく調整できるようサポートしたい」。宏実らを見守る目は温かい。
 「(ロンドン五輪の)1度だけでは、まぐれと言われてしまう」。2大会連続でメダルを獲得し、日本の重量挙げ界の復活を印象づけたいと強く願う。
 三宅の兄義信(76)=東京都ウエイトリフティング協会会長=は64年東京、メキシコ両五輪を連覇した名選手。宏実にとって伯父に当たる。
 三宅義行は宏実が生まれた時、その名にある願いを込めた。「宅」「宏」「実」。三つの「うかんむり」を並べた。「いつか栄冠をつかんでほしい」。頂点がこれほど似合うアスリートもいない。(敬称略)

[みやけ・よしゆき]宮城・大河原高(現大河原商高)で重量挙げを始めた。法大に進み、1968年メキシコ五輪フェザー級で銅メダルを獲得。69、71年世界選手権で優勝した。現役引退後はロサンゼルス五輪コーチなどを務めた。現在は女子日本代表監督、日本ウエイトリフティング協会副会長。64年東京五輪とメキシコ五輪のフェザー級を連覇した義信は兄で、ロンドン五輪女子48キロ級銀メダルの宏実は長女。宮城県村田町出身。


2016年07月21日木曜日


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