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<三宅義行>不可解判定一蹴し銅

メキシコ五輪重量挙げで、史上初の兄弟五輪メダリストになった(右から)三宅義行、義信=1968年10月

 1968年10月14日、メキシコ五輪重量挙げの会場となったインスルヘンテス劇場。フェザー級の表彰台で、双子と見まがうような風貌の2人が満面の笑みで歓声に応えた。三宅兄弟の名が世界に広まった瞬間だった。同一種目で兄弟そろってのメダル獲得は近代五輪史上初めてだ。

◎敗れざる人(3)反骨/99.9パーセント奇跡

<「兄に勝つ闘い」に>
 弟、義行(70)=宮城県村田町出身=は初の五輪舞台で銅メダルを獲得。9人きょうだいの6番目で6歳違いの義信(東京国際大ウエイトリフティング部監督)は東京五輪に続いて連覇を達成した。
 義行は「兄に勝ちにいった闘いだった」と振り返る。当時の重量挙げは三つのやり方で総重量を競った。プレスは兄弟ともに122.5キロで並び、続くスナッチと合わせて義信が240キロでトップ。義行は237.5キロで2位タイにつけた。最終種目はジャーク。義行は1回目の試技で142.5キロをクリアし、2回目は自己新記録の147.5キロに挑んだ。
 持ち前の勝負強さを発揮し、見事にクリーンしたかに思われた。だが、バーベルの落とし方が粗いという理由で失敗とみなされた。不可解な判定に対し、日本代表チームは抗議した。
 競技は15分近く中断。義行は「これ以上時間がたつと体が冷え切ってしまう」と考え、「もう一度挙げてみせる」とたんかを切った。反骨心をあおって自らに重圧をかけ、3回目で147.5キロを成功させた。「99.9パーセント奇跡。僕の強気な面が出た。東北人特有の粘り強さかもしれない」
 最終的にトータル385キロで、兄に7.5キロ及ばなかったものの銅メダルを得た。表彰式後、義行が「言葉が出ないほどうれしく感激している。今後も努力して、何とか兄以上の記録を出したい」と言えば、義信は「弟が3位になってくれたのが一番うれしい」と喜んだ。

<快挙の陰 母の言葉>
 兄は弟に頂点に押し上げられ、弟は兄に表彰台に引っ張られたかにみえる。
 日本からメキシコに出発する際、関係者が羽田空港に見送りに来た。義行はそこで母たけをから忘れられない言葉を聞く。「あんちゃんは年齢的に最後だろうから、援護射撃して勝たせてやれ」
 一方で、たけをは義信にこう伝えた。「お前は東京で『金』を取ったんだから今度は弟を勝たせてやれよ」
 「勝たせてやれ」という言葉が何色のメダルを指していたのか、義行はいまだに分からない。ただ、同じ階級で兄弟が競うことに胸を痛めていた母の、できることなら2人とも優勝させてあげたい−という思いが痛いほど伝わった。
 「2人とも表彰台に上がれた。(母は)最高にうれしかったと思う」と義行。義信も「同じ階級で日の丸が二つ揚がるなんて今後あるだろうか。親孝行できたよ」。兄弟で成し遂げた快挙は母の言葉に支えられていた。
 メキシコ五輪の翌年、義行は大学を卒業し、今度はミュンヘン五輪を目指す。(敬称略)


2016年07月23日土曜日


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