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<三宅義行>夢へ向かい娘と歩む

ロンドン五輪での義行(右)と宏実。リオ五輪に向け、宏実は「感謝の思いを胸に自分を信じて臨む」と言う=2012年7月

 2000年の秋。三宅義行(70)=宮城県村田町出身=に、長女宏実(30)=ロンドン五輪女子48キロ級銀メダル、いちご=が重量挙げの指導を願い出た。

◎敗れざる人(5完)勝負/表彰台の一番上で君が代を

<再び幕開けた物語>
 宏実は3人きょうだいの末娘。幼少期からピアノを習っていた。それが、同年のシドニー五輪で初採用された女子重量挙げをテレビで見て心を揺さぶられた。
 義行と兄義信(76)=東京国際大ウエイトリフティング部監督=による「重量挙げの三宅」の物語が、時を超えて再び幕を開けた。
 義行は「女の子がやる競技じゃない」と取り合わなかった。体を酷使して苦しんだ経験から、同じ痛みを味わわせたくなかった。
 すぐに諦めると思い、バーベルを握らせてみた。すると、無駄のない美しいフォームで持ち上げた。3カ月後、義行が高校1年で挙げた42.5キロを、中学3年の宏実がクリアした。
 「これは世界で戦える」。義行は驚き、確信した。二人三脚で教えるに当たり、二つの条件を出した。どんなにつらくても途中で投げ出さないこと、そして、五輪の表彰台を目指すこと。親子でぶつかることもあったが、信頼関係はそのたびに強まった。
 宏実は五輪初出場の04年アテネで9位。08年北京は6位入賞。ロンドンで日本女子初のメダルを獲得、親子メダリストになった。全日本選手権を5度制した義行の次男三宅敏博(41)=東京国際大ウエイトリフティング部ヘッドコーチ=は「宏実は練習を休まない。五輪でメダルを取るという気持ちをぶれずに持ち続けられるか、という点で徹底していた」と話す。

<4年に1度の一瞬>
 重量挙げは心技体が瞬時に一致しないと結果が出ない。練習量の過不足が調整ミスに直結する繊細さもある。4年に1度の「一瞬」に合わせるのはことさら難しい。奥深いこの競技を義行は「哲学的」と評する。
 娘と挑む五輪はリオデジャネイロで4度目。選手としての五輪出場は銅メダルを取った68年メキシコの1度だけだが、その経験から多くを学び、30年以上に及ぶ指導者人生に生かしてきた。「自分がやってきたことが間違いではなかったと、少しは思う」
 競技を始めて16年になる宏実は「振り返ると、山あり谷あり。谷の方が多かった」と苦笑する。リオ五輪に向けては「諦めず、後悔なくやれたらいい。挑戦者として頑張る」。「金メダルを取る」とは言わないところに、競技を知り尽くしたトップアスリートの謙虚さがうかがえる。
 宏実はここ数年、義行からアドバイスを受ける回数は減りつつある。裏を返せば、義行が娘の自主性を重んじるようになった。それはかつて義行が、兄と異なる方法で強くなろうとした姿に重なる。
 26日、親子はリオに向かう。「僕は(メキシコで金メダルの兄と)3位の表彰台から君が代を聴いた。宏実には一番高い所に上って聴かせてもらいたい。そんな夢がある」と義行。試合でバーベルを挙げるのは宏実だが、決して1人ではない。それは、義行の勝負でもある。(敬称略)
(佐々木貴)


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2016年07月25日月曜日


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