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<加藤清正>発掘品基に青年期の甲冑再現

再現されたよろいと熱田さん

 肥後熊本藩初代藩主、加藤清正の墓碑がある山形県鶴岡市の天沢寺で発掘されたよろいを、名古屋市の甲冑(かっちゅう)師熱田伸道さん(68)が再現した。よろいは室町末期の形状で、清正が青年期に身に着けていたと伝えられる。熱田さんは「武将の誇りを示そうと、あえて高価で伝統のあるよろいを選んだのではないか」と述べ、天沢寺によろいを寄贈した。
 再現したよろいは胴部分の高さが約35センチ、重さ6.5キロ。室町末期以降、鉄砲の威力に対抗するため作られた当世具足(とうせいぐそく)の一種「最上胴丸」で、複数の胴板をちょうつがいで止めてある。
 よろいをつなぐ糸の色は判別できなかったため、甲冑の色として当時流行したあさぎ色で再現した。
 鶴岡市は清正の死後、長男で2代藩主忠広が配流された地で、忠広が天沢寺で清正の遺骨を葬ったとされる。オリジナルのよろいは1949年、ばらばらになった状態で掘り起こされ、現在も境内に保管されている。
 8年前、知人の紹介で訪ねた天沢寺でよろいの存在を知った熱田さんは約3年かけて再現作業に当たった。欠損部位を同時代の甲冑などから推測し、2領の試作を経て完成に至った。
 熱田さんは「作業を通じて清正が胴長体形だったと思われる証拠などの発見があった。よろいは加藤家に繁栄をもたらした武具として忠広や清正の妻が埋めたのではないか」と語った。
 よろいは24日、加藤父子の霊を供養しようと天沢寺で営まれた法要で披露された。寄贈を受けた庄司良円住職は「地域の宝として守りたい」と述べた。


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2016年07月25日月曜日


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