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<五輪栄光と挫折>メダルの経験 次世代に

ロンドン五輪のブラジル戦で2点目のゴールを喜ぶ岩清水(左端)=2012年8月

◎なでしこで飛躍積んだ実績 岩清水梓 サッカー女子

 北京五輪初戦のピッチ。国歌を聞きながら整列する自分を少し不思議に感じた。「試合前なのに感極まった」。なでしこジャパンの一員として戦った五輪が競技人生の分岐点になった。
 もともと、国民的人気とは程遠い「マイナー競技」と自覚していた。「五輪なら普段見ない人も見てくれる」。出身の岩手県でも五輪のパブリックビューイングは盛り上がる。北京は「強豪と肩を並べ、メダル争いに加われた」と振り返る価値ある4位だった。
 11年のワールドカップ(W杯)初制覇をきっかけに、なでしこジャパンは飛躍を遂げる。W杯女王として迎えたロンドン。「同じ五輪とは思えない」という重圧を感じた。準決勝でフランスに勝ち「これでメダルを持って帰れるね」と仲間と喜び合う。歓喜より、ほっとした空気がイレブンを包んだ。
 3月、4大会ぶりに五輪出場を逃す挫折を味わった。「あのままリオに行けたとしても苦しかったかも」。なでしこの一時代はほぼ固定されたメンバーで築いてきた。どこか、マンネリを感じていた。
 今季のリーグ開幕前、選手だったOGから声を掛けられた。「同じように出場権を逃した00年のシドニーの時とは違う。今のなでしこには過去の実績がある。また積み上げていけばいい」。安堵(あんど)した。「(再び注目してもらうため)また結果を出さないといけない。人は忘れるから」と自らに言い聞かせる。
 ベテランの域に入り、有望な若手に厳しい言葉を浴びせる場面が出てきた。代表に選ばれた同僚が練習でいら立つ態度を示せば「感情をコントロールできなければ、なでしこに呼んでもらえないぞ」と叱咤(しった)する。
 「代表の看板を背負い、みんなから応援してもらいたいなら、何より私生活や日ごろの態度が大事ですから」。なでしこの光と陰を知っているからこそ、言葉に説得力があった。(剣持雄治)

[いわしみず・あずさ]日テレ。神奈川・弥栄西高(現弥栄高)−日女体大出。08年北京、12年ロンドンと2大会連続で五輪に出場し、ロンドンではサッカー女子初の銀メダル獲得に貢献した。11年ワールドカップでの初優勝も経験した。86年10月14日、岩手県滝沢市生まれ。163センチ、54キロ。29歳。


2016年07月26日火曜日


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