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<満州事変>陣中日誌解読 軍の実情あらわ

陣中日誌を解読した一戸会長(前列中央)ら「みやぎの近現代史を考える会」のメンバー

 仙台市に司令部を置いた旧陸軍第2師団所属部隊の「陣中日誌」の解読が、在仙の歴史研究者らによって終了した。「みやぎの近現代史を考える会」が、14年かけて取り組んだ。部隊が参戦した満州事変(1931年9月18日)の戦闘状況や、兵営の生活が記されている。旧陸軍は敗戦時に記録の処分を指示し、公的記録が残っているのは珍しい。軍の実情を知る上で貴重な資料になる。

 解読されたのは、第2師団野砲兵第2連隊第1大隊本部(約360人)の日誌。第2師団は満州事変当時、約5000人が駐屯し、主力として最前線に投入された。事変直後の9月21日から翌32年末までの日誌が残されている。
 作戦命令や関東軍司令官の訓示、兵営での慰霊祭を克明に記録。中国・奉天(現在の遼寧省瀋陽)から遠く離れた満州北部での作戦では「敵の銃声熾烈(しれつ)」「両翼を包囲され死傷者続出」と生々しく記されている。
 厳寒による凍傷患者は、事変全体を通じ約1800人に上ったとされる。日誌は将来への参考意見として「防寒具の整備、給養の良否、兵卒の休眠状況に配慮することが必要。今回の戦闘では、全てがこれらの条件に合致しなかった」と指摘していた。
 このほか、少ない食糧や弾薬補給、靴の破損など粗末な兵站(へいたん)が浮き彫りになった。衛生面も貧弱で、コレラに似た症状で多数の死者が出たり、列車内に救護所を開設したりした。
 考える会の一戸富士雄会長(85)は「戦況を楽観視して防寒服の備えを考えず、(日本がロシア革命に軍事干渉した)シベリア出兵の教訓を学んでいない。装備の近代化の遅れも甚だしい。戦闘史にとどまらず、日本軍の発想と体質がうかがわれる資料だ」と話す。
 日誌は、復員業務に当たった旧陸軍関係者の遺族が1999年に仙台市歴史民俗資料館に寄贈した。資料館と共同で同会が解読に当たった。2011〜16年の資料館の年次調査報告書に分けて掲載された。連絡先は資料館022(295)3956。

[満州事変と第2師団]1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で関東軍が南満州鉄道の線路を爆破。「中国軍の謀略」と主張して軍事行動を開始し、事変が勃発した。中国東北地方を占領、1932年3月に満州国として独立させた。宮城、福島、新潟3県を徴兵管区とした第2師団は事変当時、満州に駐屯し、奉天やチチハルなどに出兵した。


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2016年07月31日日曜日


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