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<リオ五輪わが子へ>本当に幸運 見守るだけ

「愛は被災地のことをいつも思っています」と語る福原千代さん=25日、東京都内
福原 愛(ふくはら・あい)88年11月1日生まれ、27歳。156センチ、48キロ、青森山田高出、ANA。仙台市出身、04年アテネ五輪から4大会連続で代表。12年ロンドン五輪団体銀メダル。

 間近に迫ったリオデジャネイロ五輪。熱狂の大舞台に日本代表として臨むアスリートを最も近くで見守ってきたのは母だった。卓球女子の福原愛(27)=ANA=、陸上競歩の高橋英輝(23)=富士通=、バレーボール女子の佐藤あり紗(27)=日立=の東北関係3選手の母が、それぞれ贈る言葉を語った。(聞き手は剣持雄治)

◎卓球 福原愛選手へ−千代さん=東京都=

 あの子が五輪出場するなんて夢にも思っていなかった。愛が生まれて五輪は7度目。このうち4大会連続で出ます。愛は本当に幸運です。
 愛は幼少の頃と何も変わりません。母親からみれば、家族の一員がそのまま卓球をやらせてもらっているような感覚です。
 2人の一番の思い出というか濃かった時間は5、6歳の頃です。練習相手を探したり、内容をどうするか考えたり、工夫するのがとても難しかった。練習相手の私も体にがたが来ました。現役の時よりもまじめに取り組みましたから。その時の肩凝りが今も取れないほどです。

 愛の卓球の原点はラリーです。1000回続けるまで練習は終わらない。相当難しく、200〜300回辺りで私が失敗すると、愛は泣いて怒りました。
 「お母さんミスした、私ミスしていないのに…」
 おかげさまでフォア打ちが上手になりました。指導で大切にしていたのは「きょう決めたことは、きょう中にやる」ということでしょうか。それが今の姿にも生きていると感じます。
 2人のラリーは愛が中学生の時が最後だったと記憶しています。愛は天才ではなく、練習量で力を付けました。天才肌の選手もいますが、愛はそうではなく、真面目に地道に取り組みました。少しでも遊び感覚があれば、ちょっと発想も変わったのかなと思うこともありますけど…。
 今でこそ小さい時からラケットを握り、活躍する選手がたくさんいます。すごくいいことです。
 私たち親子は何をするにしても石橋をたたきながら進むしかなかった。誰も手本になってくれる人がいない。自分たちはいわば踏み台であり、最初は何をすればいいか分からなかった。
 底辺を拡大すれば、ピラミッドの上を目指す人は少し緩やかに登っていくことができるでしょう。うちの子をまねしただけでも、愛より強くなるかもしれません。

 リオ五輪に愛はチーム最年長で臨みます。もしかすると最後の五輪になるかもしれません。母親として、愛がけがをした時なんか「引退」の二文字が浮かぶようになりました。でも現在は監督やコーチにお任せしているし、私はただ見守るしかありません。
 最後に一つあります。愛は仙台のこと、東日本大震災で被災した人たちのことをいつも思っています。海外の試合から帰り、少しだけでも時間が空けば被災地を訪れました。愛は仙台の子どもたちにメダル獲得を約束しました。一生懸命頑張ってほしいです。

●福原千代(ふくはら・ちよ)宮城県石越町(現登米市)出身。宮城・若柳高出。百貨店に勤務する傍ら、卓球を続けた。92年、3歳9カ月の長女愛選手に卓球を教え始めた。65歳。


2016年07月31日日曜日


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