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<リオ五輪わが子へ>最後まで諦めないで

仙台七夕まつりの後、家族と外食を楽しむ8歳の佐藤(左)と母の孝子さん=1997年8月8日、仙台市内の飲食店
佐藤あり紗(さとう・ありさ)1989年7月18日生まれ、27歳。165センチ、52キロ。宮城・古川学園高−東北福祉大出、日立。ポジションはリベロ。仙台市出身。

◎バレー 佐藤あり紗選手へ−孝子さん=仙台市=

 あり紗は運動神経が良く、活発な子どもでした。仙台市西多賀小2年で競技を始めたきっかけは、私と6学年上のあり紗の姉の影響です。当時、バレーボールで、あり紗の将来をどうにかしようなんて思ってもいませんでした。負けるのが嫌いで、勝ち気にあふれていた子でした。

 小学高学年の時、スポ少の試合で敗れると、「お昼は食べたくない」と拒否することもあったくらいです。
 バレーボールをやっている以上、168センチの私を越してほしいと思っていましたが、中学生の時に身長が伸びなくなりました。私より3センチ低い165センチ。ご飯はたくさん食べていたんですけどね。
 リベロとしての適性は、小学生の頃にセンターを務めていた影響が大きい気がします。ボールがよく来るポジションでありながら、恐怖心を持たずに取り組んでいました。
 東北福祉大の時、保護者が参加する食事会で、指導していた大和田直樹さん(故人)の言葉が今でも印象に残っています。「あり紗はティンカーベルみたいに、ボールが来るところにいるんだよな」。親としてはうれしい一言でした。
 宮城・古川学園高では勝つための練習、強い精神力を身に付けました。寮生活だったため、家族で一生懸命支えました。試合も全部応援に行きました。

 社会人になってからは故障の影響があり、競技をやめたいと思ったこともあるようです。所属先で主将を任され、あり紗なりにチームをまとめ、続けて良かったと思ったことでしょう。
 チームに必要とされていること、長い人生の数年間だから貴重な経験になることを、悩んでいる本人に伝えたこともあります。
 あり紗の「やめたい」という言葉に、私たち家族もつらい思いをしてきましたが、五輪出場は今まで頑張ってきたご褒美ではないかと思います。
 五輪は世界の強豪が集まる舞台。日本代表として金メダルを取ってもらいたい気持ちはありますが、今まで身に付けてきたものを全て出してほしい。ボールは落としちゃいけないよ、という競技を始めた頃の思いを忘れず、最後まで諦めない必死な姿を見たいです。
 地元の方々から励ましの言葉や横断幕を頂きました。自宅にも飾ってあります。そういう思いも引っくるめて、プレーしてほしいです。


2016年08月02日火曜日


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