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<その先へ>浜の復興 郷土の味で

店のお披露目会で、客を迎える塚部さん(左から2人目)と慶子さん(中央)

◎すし店「あら浜」店主塚部久芳さん=宮城県亘理町

 東日本大震災の津波で全壊した宮城県亘理町荒浜のすし店「あら浜」が10日、5年5カ月ぶりに現地で営業を再開する。新店舗で7月30、31日に催したお披露目会。店主の塚部久芳さん(64)は「やっと帰ってきました」と招待客一人一人に声を掛け、丁重にもてなした。
 2011年3月11日、塚部さんの店は津波にのまれた。元々、出身地の相馬市などで漁師をしていた。20歳の時、船上の事故で右脚を負傷し、妻慶子さん(63)の地元の荒浜へ。義兄のすし店を手伝い、41歳で「あら浜」を開店させた。
 17年続けた店は、秋の郷土料理「はらこ飯」が人気だった。愛着のある店は一瞬で泥水に漬かったが、家族は難を逃れた。塚部さんは、再起の足掛かりに仙台を選んだ。

 仙台三越(青葉区)の食品売り場で11年8月から弁当を販売。12年1月には「あら浜」で修行していた次男慶人さん(35)らと、青葉区本町のビルに「わたりあら浜」を出店した。
 店には亘理町の仮設住宅から通った。「少しでも荒浜の近くにいたかった」。朝6時半に家を出て、夜は午前0時に帰る毎日。無理を重ねるうちに心が悲鳴を上げた。「人に会うのが嫌になった。苦しかった」。うつ病と診断され、仙台の病院に2カ月間入院した。
 このときの記憶は少し曖昧だ。「荒浜はあっちの方角だな」と窓越しに眺めたことを覚えている。「おかみはどうしているだろう」。雪がちらついたときは、そんなことを考えていた。
 店は慶子さんや慶人さんらが守ってくれていた。ただ、思うように売り上げは伸びなかった。不安が増す中、家族を救ったのがはらこ飯だった。
 12年秋。はらこ飯のシーズンになると徐々に客が増えた。口コミで、いつしか行列ができるようになっていた。中には荒浜の時の客もいた。ある日、誰かがカウンターにあったプラスチックの食品容器に千円札を入れた。すぐに別の客も。心温まる義援金がたまっていった。

 建築業者がなかなか決まらず、再建に時間はかかったが仙台で力を蓄えた。昨年12月には、仮設住宅から災害公営住宅に移った。仙台の店は慶人さんに任せ、自身は慶子さんらと荒浜で再起を期す。
 震災後の過労、心労がたたり、病で倒れた時も消えなかった荒浜への思い。「これからが勝負」。お披露目会で自身を鼓舞する言葉とは裏腹に、笑みがこぼれていた。
 「先人が伝えてくれた郷土料理に救われた。今度は自分が荒浜の力になりたい」。真っさらなのれんの前で誓った。
(安達孝太郎)


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2016年08月10日水曜日


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