秋田のニュース

<石川達三>発禁処分でナーバスに 書簡分析

石川達三の未公開書簡。小説「生きてゐる兵隊」の発禁処分直後の心境などがつづられていた

 横手市出身の作家石川達三(1905〜85年)が戦時中に雑誌「中央公論」の担当編集者に宛てた未公開書簡の中で、日中戦争を題材に1938年に発表した小説「生きてゐる兵隊」が発禁処分を受けた後、揺れ動く心境をつづっていたことが9日、分かった。石川には細かいことにはこだわらないといった硬派な印象が伴うが、書簡は違った一面をうかがわせる資料と言えそうだ。
 書簡を分析した秋田県立大総合科学教育研究センターの高橋秀晴教授(59)=日本近現代文学=が同日、秋田県庁で記者会見し発表した。
 書簡は封書とはがき計17通で、36年12月〜44年9月、中央公論社の編集者松下英麿さん(07〜90年)に送った。秋田県立図書館の職員が今年1月、東京都内の古書店で入手し、高橋教授に分析を依頼した。
 38年2月の発禁処分から間もない4月1日の書簡では、「(会社を)お訪ねしたいと思ひながらどうも工合(具合)が悪くて足が向かず(中略)受付の子どもに顔を見られるのもつらい気持ち」とある。
 また、「先月書いた原稿は出さぬ方がいいと思ひますから一度返送しておいて下さい。(中略)何かもっとうまい書き方をしなければならんと思ってゐますので」と書かれている。
 高橋教授は「発禁処分を受けてナーバスになっている様子や、会社に迷惑を掛けたとの思いが分かる」と指摘した。
 40年8月18日の書簡では、日中戦争を描いた小説「武漢作戦」の装丁に関して「全面に戦争写真を入れる」「壮烈な表紙にしたい」などと事細かに指示していたことも判明した。
 高橋教授は「読み解くと、今までにない石川(の一面)が見えてきた。興味深い資料だ」と話した。

[「生きてゐる兵隊」]「中央公論」1938年3月号に発表。石川達三は37年12月の中国・南京陥落後、中央公論社特派員として38年1月まで現地で取材した。兵士から聞いた戦場の実態を克明に書いたことなどが反軍的とされ、発禁処分となった。


関連ページ: 秋田 社会

2016年08月10日水曜日


先頭に戻る