岩手のニュース

<私の復興>薄れゆく記憶つなぐ

かさ上げ工事で立ち入れなくなっている所有ビルを訪れ、語り部を務める米沢さん=陸前高田市

◎震災5年5カ月〜陸前高田市・被災ビル残す商店主 米沢祐一さん

 東日本大震災で壊滅した陸前高田市の市街地に、鉄筋3階のビルがぽつんと残る。
 「一本松じゃなくて、一本ビルだね」
 保育園に通う長女の多恵ちゃん(5)が、津波に耐えて唯一残った同市の「奇跡の一本松」になぞらえて言った。
 包装資材販売業「米沢商会」の所有ビル。7月、市から土地の仮換地指定の通知が届いた。現在地の割り当てとなり、ビルを正式に残せることになった。
 周囲で大規模なかさ上げ工事が進む中、震災前の低い土地に立つビルは、過去の記憶を未来につなぐ「道しるべ」になる。
 同市では岩手県最多の1700人以上が犠牲になった。その中には父、母、弟も含まれている。震災時、ビルにいた3人は市指定避難所の市民会館に避難した。自分が近くの倉庫からビルに戻ると津波が襲来した。屋上に駆け上がり、高さ約15メートルの煙突上部にしがみついた。
 市民会館も含め、街は濁流に沈んだ。

 議論がないまま、公共施設や民間建物が解体されていった。「壊したら二度と戻らない。市中心部まで津波が来たことが一目瞭然の建物を、残せるなら残したい」。国費で撤去できると言われたが、断った。
 意固地になっていたわけではない。保存できる条件が奇跡のように重なった。ビルの場所はかさ上げ地に含まれなかった。建物は専門家に「倒壊の危険性はない」と診断された。
 震災から5年5カ月。妻子を養うため日々追われた。大津波を体験した自分でさえ、あの恐怖感が薄れてきている。だからこそ「忘れてはいけない」との思いが強まる。
 頼まれればできる限り、ビルで語り部を務める。屋上で「この景色をずっと覚えておいてほしい。そしてまた訪れ、新しい陸前高田を見てほしい」と伝える。
 あくまで私的な「震災遺構」。維持管理費は自己負担だ。お金をかけずそのままの状態で残し、これまで通り語り部の活動で使う。

 震災の約1カ月前に生まれた多恵ちゃんは、元の街を知らない。
 「ここまで津波が来たんだ。地震が起きたら高い所に逃げるんだよ」。毎年3月11日にはビルに行き、あの時のことを話す。新たな街で成長する長女はビルを見て何を感じるのだろう。
 「後の人たちが、価値があると思ったら残せばいい」。自分の死後、ビルをどうするかは多恵ちゃんに任せようと思っている。
 負担は掛けたくない。数百万円と見積もる解体費は、少しずつためていく。(坂井直人)

●私の復興度・・・50%
 高台に自宅を新築した。仮設で再開した店は、2018年に陸前高田市街地のかさ上げ地に再建できる予定。でも、復興とは家や仕事が元に戻ることだけではないと思う。震災の教訓がきちんと次世代に生かされ、命が助かってこそ本当に復興したと言える。


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2016年08月11日木曜日


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