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<3.11と今>日々大事に 夫が手本

6度目のお盆を前に、夫の書を刻んだ墓を磨く門馬さん=4日、仙台市泉区のいずみ墓園
家族旅行で東京を訪れた弘好さん。娘のように面倒を見ていた中国残留日本人2世の女性(右)も震災で亡くなった

 東日本大震災から5年5カ月。震災後6度目のお盆が巡ってきた。凍えた「あの日」とは対照的な暑い夏。遺族らは物言わぬ最愛の人と、そして自らと静かに向き合う。

◎震災5年5カ月/6度目のお盆(1)門馬京子さん=宮城県利府町

 照り付ける日差しの下、門馬京子さん(74)が夫の墓前に花を手向ける。
 仙台市泉区の墓園。刻まれた「好日」の文字は、書をたしなんだ夫弘好さん=当時(73)=の自筆だ。
 「一日一日を大切に生きたお父さんらしい」。そっと墓石をなでる。
 弘好さんは、宮城県女川町の行政区長をしていた。2011年3月11日の朝。玄関で見送ってくれたのが最後となった。

 強い揺れを感じ、急いで隣町から戻ると、見慣れた景色は一変していた。ホーンを鳴らしたままの車がひっくり返り、家々の窓からはカーテンが垂れ下がっていた。
 叫んでも、答えはない。戦場のようだった。
 自宅近くの避難所に大勢の人が集まっていた。皆、寒さに震えている。ストーブや毛布、食べ物をかき集め、分け合った。姿の見えない夫に代わり、夢中で立ち働いた。
 津波襲来前、避難を呼び掛ける弘好さんの姿が目撃されていた。
 お父さん、どこにいるのかしら−。
 込み上げる不安を押し隠し、周囲を元気づけるため明るく振る舞った。1日たち、2日が過ぎ、色を失った。
 がれきが折り重なる町や遺体安置所。戻らない夫を探し回った。膝がじくじくと痛んだが構う余裕はなかった。
 3月下旬、弘好さんは地域の集会所で見つかった。お年寄りや体の不自由な人と一緒だった。
 逃げ遅れた人たちを助けようとしていたのだろう。1人で逃げるなんて、できなかったのだろう。
 生真面目で責任感の強い夫はいつも、困っている人に寄り添った。家族のように。
 中国帰国者から、子どもたちを日本に呼び寄せたいと相談され、保証人を引き受けた。家や仕事を探し、日本語を教えた。光熱費を払えない世帯があると、料金を立て替え、生活保護の申請を助けた。
 地域を盛り上げようと、さまざまな行事を企画し、夫婦で奔走した。住民同士の絆は強く、町内43行政区の模範とされた。
 「門馬さんがいたら、よそに移りはしなかった」。震災後、町を離れた住民が口にする。女川に尽くし、最後まで区長の使命を果たした夫を誇りに思う。

 子どもたちの住まいに近い宮城県利府町のアパートに身を寄せて5年。墓は女川から移したが、自身の落ち着く先は決まっていない。
 これからのことを考えると眠れなくなる。悲しみがよみがえる夜もある。
 近く、痛めた膝を手術する予定だ。脚が良くなれば、気持ちも前向きになるだろう。
 月命日、93歳の恩師から励ましの便りが届く。友が声を掛けてくれる。
 支え、支えられる人生。かけがえのない毎日を大事にしたい。
 日々是(これ)好日。
 夫が好んだ言葉通りに。(伊東由紀子)


2016年08月14日日曜日


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