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<土と語り合う日々>時代超えて続く作陶

美里町の小牛田近代文学館で開かれた「一門展」。右から遊佐さん、斎藤さん、村上さん、小松さん、池永健さん(柴田町で開窯後、福島第1原発事故のため長野県岡谷市に移転)

◎宮城栗原・大久保窯の50年(5完)広がる

 宮城県気仙沼市で高前田乾隆(けんりゅう)窯を構える斎藤乾一さん(74)は高度経済成長期が過ぎた1975年、村上世一さん(79)に入門した。東京で会社員をしていたが、「趣味の陶芸を業にして古里の気仙沼で開窯する」と決心した。33歳の時だった。

<修業は3年限定>
 住み込みの部屋代と食事は村上さんが面倒をみるが、給料どころか決まった休みもない徒弟制。地元の土を自分の意に沿うように調合し、形にする。わらの灰などで自作した上薬を掛け、登り窯で焼き上げる。身の回りの素材を最大限に生かす村上さんに、焼き物作りの根源を学ぶのが目的だった。
 「小手先の技術だけではない。土の作り方、窯にくべるのに適したまきの割り方、作陶に対する考え方。村上先生の手伝いをする中で全てを貪欲に吸収した」
 斎藤さんは3年間の修業時代に、国展入選、国際陶芸展入賞など数々の公募展で選に入る力を蓄えた。
 村上さんは弟子の修業期間を3年と決めている。「3年で身に付かなければ何年やっても無駄だ」と考える。弟子には「陶芸とは自分をつくること」と説く。今は門弟4人が陶芸家として独立している。
 栗原市築館で遊翠(ゆうすい)窯を営む遊佐将彦さん(46)は1994年からの修業で、村上さんの美意識と作陶に臨む姿勢に驚嘆した。
 倉敷ガラスの小谷真三さんの食器を普段使いにし、工房に置かれたふた付きの丼は人間国宝の陶芸家浜田庄司作。国際的に評価が高い河井寛次郎の一輪挿しもさりげなく飾られていた。
 「びっくりするような作品がそちこちにあった。実績を積んでもなお、良い作品に触れ、陶芸に生かそうという気持ちが伝わってきた」と遊佐さんは語る。
 同市一迫で花法窯を主宰する小松善郎さん(47)は、自宅ギャラリーに展示するつぼに庭の草花を挿して来客を迎える。花好きの村上さんの影響という。

<「陶芸の里」に変貌>
 村上さんが開窯したのは66年。栗原市には現在、九つの窯元があり、県内屈指の「陶芸の里」になった。市議会は昨年、地元の陶磁器で地酒の乾杯を促す「乾杯条例」を定めた。村上さんの一歩がさざ波のように広がる。
 開窯当時のメモ帳が工房の片隅にあった。陶磁器について、万年筆でこう走り書きされていた。
 「絶えず時代、時代を表現しながら、たくましく人間の生活に参加している」
 時代は変わる。それでも、作陶の日々は続く。(若柳支局・横山寛)


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2016年08月15日月曜日


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