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<土崎空襲71年>消えゆく被爆倉庫 平和問う

[変質]空襲の痕跡が残る建物内部。コンクリート製の柱は焼けただれ一部がガラス状に変質して光っていた。火災の熱は1200度以上に達したとみられる

 太平洋戦争の終戦前夜、秋田市土崎地区で多数の犠牲者が出た土崎空襲から71年が経過した14日、空襲に見舞われた旧日本石油秋田製油所の「被爆倉庫」が報道陣に公開された。
 建物に入ると、柱と梁(はり)はコンクリートが溶けて鉄筋がむき出しになっていた。天井の床板の一部は焼けただれており、火災のすさまじさを物語っていた。
 建物は老朽化が進み、管理する秋田市が来年初めに解体する予定。内部の柱と梁、天井の床板は、戦争の惨状を伝える資料として保存していく。
 この日は、空襲被害の調査と伝承に取り組む市民団体「土崎港被爆市民会議」が、犠牲者を追悼する平和祈念式典を同市のポートタワー・セリオンで開いた。市民約150人が平和を誓った。
 市民会議のメンバー伊藤津紀子さん(75)=秋田市土崎港西=は、4歳の時に空襲を経験した。「過ちを繰り返さないために語り続けたい」と決意を込める。
 土崎空襲では1945年8月14日夜から15日未明にかけて、4時間にわたり爆弾約1万2000発が投下された。少なくとも市民252人が命を落とし、多くの負傷者が出た。


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2016年08月15日月曜日


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