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<雄勝に生きる>離れてもつながる古里

水浜漁村センターで歓談する住民ら

◎半島の再生記(2)/(上)集う

 東日本大震災で被災した石巻市雄勝町は、震災から6度目の夏を迎えた。復興途上にある古里で再出発を期す人々がいる。海での学びを成長につなげる子どもたち。そしてお盆には故人をしのぶ。雄勝町の暑い日々を伝える。
(石巻総局・水野良将)

<交流拠点が完成>
 震災から5年3カ月となった6月11日、石巻市雄勝町水浜地区は祝賀ムードに包まれた。
 住民の交流拠点「水浜漁村センター」に約40人が集まり、センター完成と防災集団移転完了を祝った。取れたての地元産ホヤを味わい、昔話に花が咲く。
 センターは海抜約20メートルの高台に立つ。木造平屋(床面積約155平方メートル)でホールや和室、多目的トイレ、調理場を備える。窓からは海が見える。
 自治会組織「水浜区有会」が整備した。会長の秋山紀明さん(74)が住民の思いを代弁する。「活気が戻ってきた。前を向き、新生水浜の船出にしたい」
 地区には約30世帯70人が暮らす。集団移転に伴い、高台に整備された災害公営住宅などへの入居は5月末までに終わった。

<住民8人犠牲に>
 震災前は約120世帯330人が住んでいた。多くの民家や漁船、地域のよりどころだった旧センターなどが被災し、8人が犠牲となった。
 遠く内陸部の仮設住宅などへの入居を余儀なくされた住民も、自宅が津波被害を免れた住民も立場を超え、定期的に顔を合わせた。道の駅でお茶を飲んだり、温泉で新年会を楽しんだり。「地域の結び付きはより強くなった」。地区に残り続けた紀明さんが言う。
 内陸の仮設住宅から今年4月、地区に戻った秋山秋夫さん(75)と妻勝子さん(71)は、災害公営住宅に暮らす。ホヤの養殖に精を出し、顔なじみの隣人と魚や野菜を分け合う。
 震災当時、夫婦は主にホタテの養殖で生計を立てていた。「あと5年ほど働いたら遊んで暮らそう」。そう思い描いていたが、濁流が築約12年の自宅や第二の人生の楽しみを奪った。

<陸より海が好き>
 朝早くに仮設住宅を出発し、車で約40分かけて古里の海へ通う日々を送ってきた。秋夫さんは昔、カツオ船やマグロ船に乗り、世界の海を股に掛けた。「海と共に生きてきた。海の上は空気が澄んでいる。陸(おか)よりも海が好きだ」と故郷への帰還を喜ぶ。
 勝子さんは区有会の女性部会長として約30人のメンバーをまとめる。地域の草取りや花植え、祝い事などをもり立てる。
 地区を離れても住民の気持ちはつながっていた。勝子さんはそう実感する。「残った人たちが基礎を築いてくれた。それを土台に今まで通り力を合わせ、この地で歩んでいきたい」。決意は固い。


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2016年08月21日日曜日


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