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<戦後71年>平和の願い強く「民を大事に」

シベリアから帰還後、開拓した耕地で花を手入れする横山さん=宮城県丸森町筆甫

 第2次世界大戦で出征し、旧ソ連のシベリアに4年間抑留された宮城県丸森町筆甫の元陸軍兵士の横山三雄さん(91)が、戦後71年の夏に平和の願いを強くしている。戦地で犠牲になった仲間は「国のために」と戦った。その国は戦後、強制労働を強いられた元抑留者への補償に消極的だった。横山さんは「国は民衆を大事にしてほしい」と訴える。
 横山さんは筆甫出身。東京の軍需工場に徴用された後、1945年1月に入隊し、朝鮮半島の部隊で衛生兵を務めた。同7月ごろ、「作業中隊」が編成され、一員として旧満州(中国東北部)に赴いた。
 作業中隊は、兵士が爆薬を携えて旧ソ連の戦車に体当たりし、爆破させるのが任務。特攻隊と同様に人間を武器にする発想だ。衛生兵の横山さんは後方だったが、仲間は穴を掘って潜み、戦車を待ち受けた。
 終戦時、自決する部隊もあったが、中隊長は「生きて国のため働くように」と降伏した。横山さんはシベリアに連行され、アムール川沿いのコムソモリスク周辺の収容所に入れられた。
 寒さで体調を崩し入院した病院で赤痢にかかった。5人部屋で3人が死んだ。水がなく尿を飲んだ。一命を取り留めた後は衰弱のため事務室の清掃作業を割り当てられ、重労働を免れた。「亡くなった仲間には自分だけ生きて申し訳ないとの気持ちがある。戦争は本当に悲惨だ」と振り返る。
 49年に帰国後は炭焼きや林業に従事し、冬は出稼ぎに行った。相馬市に鶏肉処理工場が完成後、45歳から78歳まで働いた。
 元抑留者でつくる全国抑留者補償協議会が国に補償を求めたシベリア抑留訴訟は97年に敗訴が確定した。国から慰労品などが贈られたことはあったが、救済措置で特別給付金が支給されたのは2010年だった。
 横山さんは「戦争に負けた賠償として捕虜は無償で働かされた。帰国して『ご苦労さま』でもなかった」と唇をかむ。
 横山さんが暮らす筆甫川平地区は福島県と境を接し、東京電力福島第1原発事故の放射能汚染が宮城県内で最も深刻だった。だが除染や賠償で福島と格差があり、「県が違うだけで不公平」と感じた。筆甫の住民らが和解仲介手続き(ADR)を申し立て、14年6月、ようやく福島並みの賠償が実現した。
 横山さんは「戦争の時代は国策に沿って生きるしかなかった。国は若い人を大切にし、平和な時代を続けてほしい」と話す。


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2016年08月22日月曜日


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