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<雄勝に生きる>灯籠流し 思いつなげる

震災犠牲者や先祖をしのんだ灯籠流し

◎半島の再生記(2)/(下)祈る

<淡い灯 湾照らす>
 東日本大震災から6度目のお盆を迎えた宮城県石巻市雄勝町中心部で14日夕、灯籠流しがあった。
 約1000個の淡い灯が雄勝湾を照らした。波間に赤や黄の明かりが揺れる。岸壁から住民らが震災犠牲者や先祖の冥福を祈った。
 灯籠は雄勝町の被災者や被災地支援の大学生ボランティアらが用意した。運営に携わった雄勝硯生産販売協同組合製造管理部長の高橋頼雄さん(49)が言う。「雄勝に人がいる限り、供養やお祭りなど年中行事を途切れさせてはいけない」
 雄勝町出身の高橋さんにとって、灯籠流しは子どもの頃から慣れ親しんだ風習だ。以前は中心部の約600世帯が灯籠を作り、地区ごとに集約して雄勝湾に浮かべていた。
 2011年3月11日の震災で雄勝湾の津波は高さ約16メートルに達し、中心部は壊滅的被害を受けた。高台に逃げた高橋さんは「全部終わった」とさえ思った。町内の大須小へ避難し、避難者対応などに奔走した。

<涙流して見守る>
 高橋さんは11年夏、灯籠流しの継続を知人らに呼び掛けた。大切な人をしのぶ伝統を絶やしたくない。その思いで実現にこぎ着けた当日、多くの人が泣きながら灯籠を見ていた。「続けるべきだったんだ」。改めてそう感じたという。
 雄勝町のまちづくり関係者によると、中心部の人口は震災前の約1600から100程度に激減した。
 中心部の高台では防災集団移転団地の造成が進んでいる。町内の仮設住宅で生活再建途上にある高橋さんは「いずれは、以前のように住民主体の灯籠流しになればいい」と話す。
 山下昭子さん(74)は中心部にあった自宅が津波に流され、石巻市桃生町の仮設住宅に1人で暮らす。
 夫の時彦さんは11年4月7日、登米市内の病院で世を去った。75歳。時彦さんは震災後、疲弊した様子で「俺はいいから、おまえは先に逃げろ」と口にした。心臓を悪くし、あまり眠れなくなっていたという。

<元気を取り戻す>
 「震災のショックで亡くなった。責任感が強く、優しい人だった」と山下さん。喪失感を埋められず引きこもりぎみになり、体重が10キロ以上も減った。11年秋ごろ、知人に誘われて外に出るようになり、少しずつ元気を取り戻した。
 夫婦は夏に灯籠流しを見て、各地のお祭りを巡るのが楽しみだった。あの日から巡ってきた6度目のお盆。山下さんは時彦さんが眠る雄勝町内の墓を訪ね、伝えた。「前向きに楽しく生きているよ」


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2016年08月23日火曜日


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