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<釜石艦砲射撃>惨状記す 体験談集発刊

野田武則釜石市長(左から2人目)に体験談集を寄贈した箱石さん(中央)と元女学生たち

 太平洋戦争末期、2度の艦砲射撃で大きな被害を受けた岩手県釜石市から旧制釜石高等女学校の生徒が集団疎開した史実を巡り、盛岡市の元高校教諭箱石邦夫さん(75)が体験談集を発刊した。女学生52人の証言を収録。疎開に関する詳細な記録はほとんど残っておらず、隠れた歴史に光を当てる貴重な資料となる。
 題名は「八月のあの日 乙女たちの仙人越え」。女学校の1〜3年生は2度目の艦砲射撃があった1945年8月9日の前後、険しい仙人峠を歩いて越え、隣の遠野市に向かった。
 体験談集には、峠越えの途中に釜石市を襲う砲撃の音を聞き、戦闘機から機銃掃射を受けた恐怖がつづられた。校庭に多くの遺体が並べられていた惨状、食糧不足に悩まされた疎開先での生活も伝える。
 当時1年生だった釜石市の足立郁子さん(83)は「とにかく黙々と歩いたこと、出発日に両親と別れた悲しみは今も覚えている」と振り返る。
 箱石さんは99年、勤務していた釜石南高(現釜石高)の文化祭で、集団疎開についての発表を生徒たちに提案した。元女学生に協力を呼び掛け、艦砲射撃や疎開の体験を記した手紙が集まった。
 箱石さんによると、同市の小学生500人以上の集団疎開は岩手県教委の記録に残るが、女学生の場合は正確な人数や疎開先から戻った時期を伝える文書がない。
 100部を作って元女学生に配り、24日は市への寄贈式があった。箱石さんは「忘れ去られてしまう重要な事実があったことを証明し、後世に伝えることができた」と語る。


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2016年08月25日木曜日


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