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<再生に挑む>分散操業で人材守る

新工場には新型の機器も導入。「ニーズに合った商品をタイムリーに提供したい」と話す斉藤社長

◎斉藤製作所(福島県飯舘村)原発事故後、福島市に拠点移す

 2015年1月、福島県飯舘村に新しい本社工場を操業させ、念願の帰還を果たした。
 東京電力福島第1原発事故後の11年7月、福島市に立ち上げた工場との分散操業になる。「効率は悪いが、それぞれの工場の地元出身者を守るにはこの形しかない」。斉藤隆社長(51)に迷いはない。

<熟練の部品加工>
 デジタル家電などのコネクター製造に使う金型部品の加工を手掛ける。横浜市出身の斉藤社長が飯舘村と縁を持つようになったのは02年。恩人で、北海道と横浜に拠点を持つ部品加工会社の経営者とともに共同出資会社を設立した。村が企業誘致に熱心だったことが決め手になった。
 06年には共同会社を解消した上で、同じ場所に現在の会社を設立。設備を新たに導入し、顧客をゼロから開拓した。
 部品加工は熟練の技術が求められる。02年当時の3人から8人に増えた従業員の育成に力を入れた。商工会活動に加わり地元とのつながりを深めた。08年のリーマンショック後の苦境も乗り越えた。「このまま地道に頑張ろう」。その歩みを原発事故が一変させた。
 地震の被害はほとんどなく、再開は可能だったが、従業員の親が避難のために息子を連れ帰るなど、原発事故の影は日に日に濃くなった。避難先の福島市に工場を移し、事業を再開することにした。
 不安定な稼働で売り上げは半減。それ以上に工場移転に伴う3人の離職が痛かった。「人と機械はセット。誰でもできる仕事じゃない」。新入りを育て、販路を開こうと奔走した。
 懸命の営業で業績が回復軌道に乗る中、「村出身の従業員は長男が多い。原発事故に伴う補助金がある今なら村に戻れる」と考えた。だが、福島市で採用した人材も守りたい。

<提案型で活路を>
 事故前に操業していた工場は復興公営住宅用地になっていた。村に新工場を建設して帰還を果たしつつ、2拠点の分散操業で人材を守ることを決めた。
 飯舘では部品の前処理、福島では仕上げに重点を置く。年間売り上げは事故前に比べ2割増えたが、車で約1時間の距離に従来の倍近い従業員計15人を抱え、黒字化には至っていない。
 帰還は02年の起業、06年の独立に続く3度目の船出だ。競争環境は厳しく、順風満帆ではないが、斉藤社長に焦りはない。「知識と知恵を身に付けて、提案型の会社として生き抜きたい。精いっぱい、までい(丁寧)に仕事を続けるだけ」。控えめに付け加えた福島弁に決意がにじんだ。(報道部・村上浩康)


2016年08月25日木曜日


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