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陸奥国府の建物か?古代の瓦、同じ特徴

中野遺跡で見つかった竹状模骨平瓦
土地所有者から中野遺跡の案内を受ける佐々木茂〓さん(右)。桑畑だった場所が杉林に変わっている

 涌谷町小塚の中野遺跡で40年以上前に見つかった古代の瓦が、多賀城創建前の陸奥国府だったとされる仙台市太白区の郡山遺跡で出土した瓦と同じ特徴を持つことが分かった。専門家は「7世紀末から8世紀初めに、陸奥国府に関わりのある城柵や官衙(かんが)があった可能性がある」とみている。

 中野遺跡の瓦は約15センチ四方の平瓦。今月6日に町を訪れた島根大考古学研究室の大橋泰夫教授と南相馬市文化財課の藤木海主任文化財主事が凹面に竹状の道具を使った圧痕を確認し、郡山遺跡の竹状模骨瓦との類似を指摘した。
 瓦は1973年、前町文化財保護委員長で県多賀城跡調査研究所長も務めた佐々木茂〓さん(81)が桑畑で発見した。町教委が保管し、発見場所を遺跡として登録した。
 瓦も遺跡も本格的に調査されたことはなく、佐々木さんは「発見は郡山遺跡が見つかる前。私の知識では瓦の年代を推定できなかった」と指摘に驚く。
 涌谷は8世紀半ば、日本で初めて金を産出した場所として知られる。町教委の担当者は「瓦は、産金の半世紀前にこの地域が陸奥国府の勢力圏になっていたことを裏付ける可能性を秘めた史料。瓦の出土する古代遺跡は官衙や寺社、窯だった可能性が高く、注目していきたい」と話した。

[郡山遺跡]約1300年前の官衙(かんが)遺跡で、1979年に仙台市教委が調査に着手。7世紀半ばの城柵跡「T期官衙」、多賀城創建前の7世紀末から8世紀初めに陸奥国府だった「U期官衙」、同時期の付属寺院とみられる「郡山廃寺」などの遺構が見つかっている。2006年に「仙台郡山官衙遺跡群」として国史跡に指定された。

(注)〓は木へんに貞


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2016年08月27日土曜日


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