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<賢治誕生120年>詩碑建立 被災地の支えに

詩碑の除幕式の打ち合わせをする「大槌宮沢賢治研究会」のメンバーたち

 27日に生誕120年となる宮沢賢治(1896〜1933年)の精神を顕彰し東日本大震災後の生き方の支えにしたいと、岩手県大槌町民らでつくる「大槌宮沢賢治研究会」が詩碑の建立を計画している。賢治が作品で「イーハトーヴォ海岸」と表現し愛した三陸海岸は、震災で深く傷ついた。賢治関連碑がある他の地域とも連携し、沿岸部の交流人口拡大を目指す。

 賢治は1925年1月、釜石以北の沿岸部を旅行した。その際に詠んだと伝わる詩のうち、大槌にゆかりがあると考えられる2編を別々の石碑に刻む計画だ。
 2編のうち「暁穹(ぎょうきゅう)への嫉妬」では、冒頭に登場する鉱石「薔薇(ばら)輝石」に着目した。賢治が父への手紙に「大槌産の薔薇輝石」と記したのを知った研究会会長の佐々木格(いたる)さん(71)が、町内の鉱山跡地で実際に見つけ産出を確認した。浪板海岸を望む高台に碑を建てる予定で、9月に除幕する。
 もう1編は「旅程幻想」。大槌付近の情景を詠んでいると推察し、大槌川近くに設置を検討する。資金不足のため、実現に向けた支援を町に求めた。
 佐々木さんは震災後、高台の自宅敷地に回線がつながっていない「風の電話」を置き、亡くなった人に家族らが思いを伝える場を設けるなどした。
 賢治の童話展も開く中、作品に込められた「利他の精神」は全国の支援に助けられた自分たちの生き方の指標になると考え、昨年2月に研究会を発足させた。
 賢治は童話「ポラーノの広場」で、三陸海岸を「イーハトーヴォ海岸」と呼んだ。出張で訪れた主人公が地元の歓迎を受け「たびたびわたくしはもうこれで死んでもいゝと思ひました」とまで言う場面がある。
 三陸海岸は、賢治誕生の年に明治三陸大津波、亡くなった年に昭和三陸津波に襲われた。震災で再び災禍に遭ったとき、賢治の詩や童話は人々の共感を呼んだ。佐々木さんは「津波にまつわる作品は残していないが、賢治と三陸、津波の不思議な関わりを感じずにはいられない」と語る。
 岩手県沿岸には普代村、田野畑村、宮古市、釜石市、陸前高田市に計8基の賢治碑がある。普代村の1基は震災後に建った。陸前高田市の高田高にあった碑は銅板が津波で流失したが、将来的に復元する予定。
 研究会会員は6月に北部の碑を訪れ、関係者と交流した。今後は連携し、周遊ルート作りを模索する。


2016年08月27日土曜日


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