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<浜を歩く>追憶 慰霊 故郷に集う

高台に整備された共同墓地。周囲には荒れ地が広がっている=南相馬市小高区村上

◎村上地区(南相馬市小高区)田植踊復活 未来託す

<共同墓地整備>
 真新しい御影石にモノトーンの夏空が映る。ゆっくりと雲が流れる。一瞬の静寂の後、セミの鳴き声が周囲を包んだ。
 福島県南相馬市小高区の村上地区。8月上旬、高台に造成された共同墓地を訪れた。約60ある区画の4分の1に墓石が据えられている。石彫りの観音像もある。行方不明者のために据えられているそうだ。
 70戸ほどあった集落は東日本大震災の津波にのまれた。犠牲者は62人。原形をとどめる民家は数戸にとどまる。浜沿いにあった墓地とともに、営みの全てが破壊された。
 一帯は全域が災害危険区域に指定されている。集落の再生は困難だ。散り散りになった住民にとって、弔いの場の再整備は悲願でもあった。
 「ここは心のよりどころなんだ」。区長の坂本広さん(62)が地域の思いを代弁してくれた。「お参りのたびに故郷を訪れることができる。ここに来れば懐かしい顔にも会えるだろ?」
 西内芳幸さん(68)は今夏、墓を再建した一人。妻と義母が犠牲になった。南相馬市原町区に新居を構えたが、遺骨は村上に納めると決めていた。
 黒い御影石ではなく、墓石には淡い桜色を選んだ。家名も彫らず、業者にメッセージを刻んでもらった。「ありがとう」。2人に贈る言葉は、ほかに思い浮かばなかった。
 「墓地完成まで5年も待たせてしまった。どうしても生まれ育った土地で眠らせてあげたくてね」。西内さんのつぶやきに、安堵(あんど)感がにじんだ。

<「名前消えぬ」>
 暮らしは失われたとはいえ、村上の地名は芸能分野で息づく。地元に伝わる「村上の田植踊」だ。住民による保存会が主体となって震災翌年に復活させた。2015年には福島県の文化財指定を受けている。
 「練習会場がお嫁さん同士のコミュニケーションの場にもなっててね。楽しかったな」。保存会の事務局を担う岡和田とき子さん(65)が振り返る。避難先にミシンを持ち寄り、流失した衣装や小道具を手作りした。
 保存会メンバーは60歳以上が過半を占める。代替わりが難しくなったものの、決して悲観はしていない。会は以前から小高区の小学生に歌と踊りを伝授してきた。岡和田さんが手ほどきした子どもも、大学生になっている。
 「出身者でなくてもいい。誰かが継承してくれる限り、『村上』の名は消えないと思うの」。岡和田さんが故郷の明日を託した。(南相馬支局・斎藤秀之)


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2016年08月29日月曜日


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