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<あなたに伝えたい>さらに増えたひ孫見守って

高台の集団移転先に建築した新居の前で、震災後の歩みを語る里美さん(左)と仁栄さん。仮設住宅暮らしを経て昨年12月に移り住んだ=宮城県七ケ浜町笹山

◎阿部里美さん、仁栄さん(宮城県七ヶ浜町)きくよさんへ

 里美さん 多賀城市で買い物をしていて地震に遭いました。母は自宅近くの親類宅にいて、駆け付けると放心状態でした。もっと高い場所へ逃げようと、手をつないで玄関から3歩出たところで、がばっと水をかぶりました。気付くと母はいなかった。
 「お母さんがいるよ」と住民に知らされ、菖蒲田浜公民分館に向かいました。母はその建物の1階で見つかりました。近くの住民が家の中に入れてくれて、着替えをさせてもらい、布団を敷いて寝かせてもらいました。その時既に、母の意識はなかった。布団の中で亡くなったのだと思います。私は腕を複雑骨折していたのですが、無我夢中で痛みを感じませんでした。
 仁栄さん 地震の後、菖蒲田浜漁港から船を沖出ししました。乗り越えた津波は4回までは数えた。コンテナやがれきが流れてきて漁港に戻れませんでした。沖で2晩過ごし、塩釜港に船を着けて、妻が避難していた町内の小学校に向かいました。途中、知り合いから「ばあさんがなあ…」と聞き、母が亡くなったと知りました。
 里美さん 母は氷川きよしの大ファン。一緒にコンサートにも行きました。ひ孫に会うのも楽しみで、会うときは朝からそわそわしていました。震災後、さらに2人生まれて。なんぼか喜ぶだろうねえ。
 仁栄さん 母が作るトウモロコシや枝豆は子どもたちも大好きだった。丹精込めた畑は雑草一つなかったけど、今は草ボウボウ。きれいにしないとね。

◎2人で外に出て3歩、津波襲い行方不明に

 阿部きくよさん=当時(86)= 宮城県七ケ浜町菖蒲田浜で長女の里美さん(68)と、里美さんの夫で漁師の仁栄さん(66)、孫2人の5人暮らしだった。里美さんと避難する途中で津波に襲われた。野菜作りと、演歌歌手の氷川きよしが大好きだった。


2016年09月04日日曜日


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